半ズボン、昭和は遠く、なりにけり
CATEGORY靴・服飾
ヤフーのトップに出ていたのだが、子供たちの半ズボンが消滅しつつあるとの事。
僕は小学生時代、半ズボンで過ごした世代なので、これは寂しく感じる。
先程、小学校の卒業アルバムを取り出してみたのだが、やはり僕以外にも半ズボン着用者は多い。男子の8割は半ズボンだ。長ズボンを履いていても、大方はジャージである。
確か僕は小学六年生時に、そろそろ半ズボンから脱却したくなり、母親に「長ズボンを買って欲しい」とねだった記憶がある。
そして、僕が長ズボンを履き出すと、友達の母親からこう言われたのを覚えている。
「山下君と○○君だけは、雪の日でもずっと半ズボンで頑張ってたのにね」
僕は小学生時代、半ズボンで過ごした世代なので、これは寂しく感じる。
先程、小学校の卒業アルバムを取り出してみたのだが、やはり僕以外にも半ズボン着用者は多い。男子の8割は半ズボンだ。長ズボンを履いていても、大方はジャージである。
確か僕は小学六年生時に、そろそろ半ズボンから脱却したくなり、母親に「長ズボンを買って欲しい」とねだった記憶がある。
そして、僕が長ズボンを履き出すと、友達の母親からこう言われたのを覚えている。
「山下君と○○君だけは、雪の日でもずっと半ズボンで頑張ってたのにね」
なんだか誉められたようなので、僕は嬉しかった。そう、僕はそのくらい、半ズボンばかり履いていたのだ(母親がこればかり買って来てたんだけど)。そのせいか今でも、僕は寒さに強い。
ヤフーにあった記事によると、もう平成5年から半ズボンは店頭から消えているそうな。思っていたよりもずっと早い時期で驚く。でも確かに、太ももを出して歩いている男の子はとんと見ていないなあ。
半ズボンがなくなった理由は多々あるようだが、そのうちの一つに、「かっこよくない」というのがあるそうだ。
果たしてそうなのだろうか?僕の母親が、かつてこう言っていたのを覚えている。
「半ズボンだと、靴下の色と柄でオシャレができる」
気取ってなくて、子供らしさが強調できるのが良いとも言っていた。
半ズボンなら半ズボンなりの、オシャレを模索しても良いと思う。
もっとも、格好以外にも下着の問題とかがあるそうだから、仕方ないと、もう諦めるべき状況なのかもしれない。ただ、何年か後にリバイバルが来て欲しいとも思う。ファッションは廃れた後に、また流行ったりもするんだし。
ヤフーの記事には、「サザエさん」のカツオだけは半ズボンとも書かれていた。
せめて、半ズボンで定着しているアニメキャラだけは、ずっと半ズボンでいて欲しいし、おそらくそうあり続けると思う。
マンガ家のみなもと太郎先生は、学生時代に京都太秦の撮影所にて、チョイ役のアルバイトをしていたそうだ。そしてその時、「忠臣蔵」と「幕末モノ」、200年ぐらい時代差があるのに、同じセットで撮影されているのに疑問を持ったそうな。
その件について、みなもと太郎先生は自著の「挑戦者たち」にて、こう書いていた。
======================================================
その頃少し仲よくなっていた 撮影所の主みたいなオッサンに訊いてみた。
「この時代考証はどっちが正しいんでしょう?」
「あー? アホかお前 時代劇に「なに時代」というのはないのじゃ あるのは「時代劇時代」というものだけじゃっ」
(中略)
「考えてみい 水戸黄門いうたら元禄時代のごく初期やぞ なんで江戸時代末期の町娘やら戦国時代の忍者が出てくるんじゃっ」
(中略)
「一心太助は三代将軍の時代 吉良の仁吉は十五代将軍の時代じゃ そやけど町の風景はおんなじや」
(中略)
「歌舞伎なんかもっとすごいぞ~ 文化文政のカッコして平安時代やと言いはっとるからなァ」
「はあ…」
「わしはよう知らんけど アメリカの西部劇かて中世の騎士物語かて 承知の上で時代考証はめちゃくちゃやっとるらしいど それでええんちゃうかなあ」
「はあ・・・」
「それが文化っちゅうもんやろ クソリアリズムだけが正しいわけやないと思うで…」
「そうですか…」
今になって そうかもしれないなと私は思う
戦後まもない馬場のぼるのマンガには 空き地がいくらでもあった
あれは昭和三十年頃までのホントの風景だった
今は日本中どこにも無いドカンの積まれた空き地で
21世紀ののび太やドラえもんが遊んでいる
「でもその時 マンガは文化になったんだよな……」
======================================================
そう考えると、半ズボンも文化として、確固たる地位を築いていたのかな。
カツオはもちろんの事、のび太やスネ夫だって今後もずーっと半ズボンだろうし、丸尾くんに、大金持ちの花輪くんだって半ズボンだろう。
たとえ、21世紀の今であっても。
もしいつか、「あばれはっちゃく」が新しく制作されたら、復活した桜間長太郎は半ズボンを履いてくれるだろうか。
……なんだか履いてくれなさそうな気がするな。
僕が半ズボンを脱却した小学六年生時に、年号は平成になったんだよな。
半ズボン、昭和は遠く、なりにけり。
ヤフーにあった記事によると、もう平成5年から半ズボンは店頭から消えているそうな。思っていたよりもずっと早い時期で驚く。でも確かに、太ももを出して歩いている男の子はとんと見ていないなあ。
半ズボンがなくなった理由は多々あるようだが、そのうちの一つに、「かっこよくない」というのがあるそうだ。
果たしてそうなのだろうか?僕の母親が、かつてこう言っていたのを覚えている。
「半ズボンだと、靴下の色と柄でオシャレができる」
気取ってなくて、子供らしさが強調できるのが良いとも言っていた。
半ズボンなら半ズボンなりの、オシャレを模索しても良いと思う。
もっとも、格好以外にも下着の問題とかがあるそうだから、仕方ないと、もう諦めるべき状況なのかもしれない。ただ、何年か後にリバイバルが来て欲しいとも思う。ファッションは廃れた後に、また流行ったりもするんだし。
ヤフーの記事には、「サザエさん」のカツオだけは半ズボンとも書かれていた。
せめて、半ズボンで定着しているアニメキャラだけは、ずっと半ズボンでいて欲しいし、おそらくそうあり続けると思う。
マンガ家のみなもと太郎先生は、学生時代に京都太秦の撮影所にて、チョイ役のアルバイトをしていたそうだ。そしてその時、「忠臣蔵」と「幕末モノ」、200年ぐらい時代差があるのに、同じセットで撮影されているのに疑問を持ったそうな。
その件について、みなもと太郎先生は自著の「挑戦者たち」にて、こう書いていた。
その頃少し仲よくなっていた 撮影所の主みたいなオッサンに訊いてみた。
「この時代考証はどっちが正しいんでしょう?」
「あー? アホかお前 時代劇に「なに時代」というのはないのじゃ あるのは「時代劇時代」というものだけじゃっ」
(中略)
「考えてみい 水戸黄門いうたら元禄時代のごく初期やぞ なんで江戸時代末期の町娘やら戦国時代の忍者が出てくるんじゃっ」
(中略)
「一心太助は三代将軍の時代 吉良の仁吉は十五代将軍の時代じゃ そやけど町の風景はおんなじや」
(中略)
「歌舞伎なんかもっとすごいぞ~ 文化文政のカッコして平安時代やと言いはっとるからなァ」
「はあ…」
「わしはよう知らんけど アメリカの西部劇かて中世の騎士物語かて 承知の上で時代考証はめちゃくちゃやっとるらしいど それでええんちゃうかなあ」
「はあ・・・」
「それが文化っちゅうもんやろ クソリアリズムだけが正しいわけやないと思うで…」
「そうですか…」
今になって そうかもしれないなと私は思う
戦後まもない馬場のぼるのマンガには 空き地がいくらでもあった
あれは昭和三十年頃までのホントの風景だった
今は日本中どこにも無いドカンの積まれた空き地で
21世紀ののび太やドラえもんが遊んでいる
「でもその時 マンガは文化になったんだよな……」
そう考えると、半ズボンも文化として、確固たる地位を築いていたのかな。
カツオはもちろんの事、のび太やスネ夫だって今後もずーっと半ズボンだろうし、丸尾くんに、大金持ちの花輪くんだって半ズボンだろう。
たとえ、21世紀の今であっても。
もしいつか、「あばれはっちゃく」が新しく制作されたら、復活した桜間長太郎は半ズボンを履いてくれるだろうか。
……なんだか履いてくれなさそうな気がするな。
僕が半ズボンを脱却した小学六年生時に、年号は平成になったんだよな。
半ズボン、昭和は遠く、なりにけり。
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