ユニクロ初め、ついに ~ユニクロと僕~

1月8日、日付が変わった深夜1時に帰宅すると、家にはユニクロが置いてあった。パジャマであーる。
僕は年末の大掃除を機に、10年以上着続けたパジャマを捨てた(僕は物持ちが良いのだ)。パジャマを一着失った僕に対し、妹が気を利かせて「セールで安かったから」と、このユニクロのパジャマを買って来てくれたのだ。
立て替えてくれたお金を払うために価格を聞くと、1,200円だったとの事。うーん、確かに安いなあ。
実は僕、今までユニクロを買った事がない。これが人生初ユニクロである。
ね、下↓見て下さいよ。長いでしょ。
僕は決してユニクロが嫌いなのではなく、逆にかなり高評価している。何しろ抜群にコストパフォーマンスが高い。何て素晴らしい事だろう。企業努力の賜物、経営者側の英知である。
それを否定するつもりなんてさらさらないし、むしろ大絶賛したいぐらいだ。
また、ユニクロはコストパフォーマンスが良いだけでなく、配色も鮮やかで、オシャレ感も十分。難点らしい難点は、そのイメージからくるチープ感ぐらいではなかろうか。
日本は資本主義、安い事は評価されるべき事なのだ(もちろんやりすぎは別ですよ。念の為)。
事実、僕は無印良品の品はいくつか愛用しているし、100円ショップのお世話にもなっている。と言うか、日本の100円ショップって、反則的なコストパフォーマンスの高さだと思う。凄いよ、日本。デフレだけど。生産はアジアだけど。
ただ、安くて良い物は素晴らしいが、高くて良い物には絶対にかなわないのもまた事実ですね。高いには高いの理由があります。安いには安いの理由もあります。かのモンキーフェイスの、有名な大泥棒もこう言っておりました。
「本物には本物の、理由があるのさ」
まー、高い理由がぼったくっている場合があるのも事実だし、高くて悪い物も多数あるのも事実だけどね。
話はそれたが、安い割に高品質!そんな素晴らしいユニクロを、僕は意識的に避けてきた。それはなぜか?
僕がユニクロを初めて知ったのは93年ごろ。さいたま市南区在住の方はご存知だと思うが、浦和の産業道路沿いにユニクロの路面店(浦和太田窪店)ができたのだ。現在、ユニクロの店舗は日本全国どころか海外にもあるが、その中でも、かなり早い時期でのオープンであり、今もなお健在だ。
このユニクロ浦和太田窪店、宣伝に熱心で、オープンするなり、新聞の折込広告が毎週金曜日にほぼ必ず入って来るようになった。その当時、広告モデルに使われていた方は小林克也さんと、その頃は"知る人ぞ知る"存在のモデルだった、はなさん。小林さんがお父さん、はなさんが娘さんという設定だった。
この頃の商品ラインナップでは、個人的にはオリジナルよりも、リーヴァイス、リーなどの定番ジーンズが常時割引されていたのが魅力的に思えた。また、この頃ユニクロは、「エルヴィス」だったか、「プレスリー」だったかのオリジナル・ブランドも展開していた。
何とも安易過ぎるネーミングに腰砕けたもんです。店内の雰囲気もイマイチ垢抜けてなく、庶民的。(※注)
それにも関わらず、オシャレ感を出そうと、気張っているのが見え見えだったのが、僕にとって受け入れ難かった。これなら、廉価洋品店と割り切って商売している方が潔くて良い。
言わば、「ジーンズ・メイト」をさらに廉価にしたような雰囲気。
「ファッションセンターしまむら」をアメカジにアレンジしたような雰囲気。
大型ショッピング・モールがごとく、客に媚びた感じのある雰囲気。
服装は文化だ。しかし、ここには文化がない。服装は個性だ。しかし、ここには個性がない。
そう言った理由から、僕はユニクロに背を向けた。当時から僕はお金がなく、そんな考えは生意気だったかもしれませんが。
ただ、この時点で僕は、ユニクロの品質などまったく分からず、盲目であった事も事実である。
品質よりも、イメージと雰囲気のみで判断していたのは否めない。ユニクロの売り物である、コストパフォーマンスの高さはまったく理解していなかったのだ。
なお、この頃、僕と仲の良かった友人に、一人、ユニクロの愛用者がいた。彼は服飾にお金をかけないタイプだったが、とても感性に優れていて、センスは非常に良かった。彼はユニクロの良さをしきりに語っていた。彼には先見の明があったのかもしれない。
ちなみにこの当時から、ユニクロは人気と言えば人気。僕は購入した事はなかったものの、2・3回入店した事はある。前述の折込広告の効果だろうか、レジ前の行列は凄かったです。
もっとも、今と違い、並んでいる人は、いかにも服装に興味がなさそうな人ばかりでしたが……。
さて、そのユニクロだが、僕も大学生になった97年頃から、東京都内でも店舗を見かけるようになった。
そして、大ブレイクとなったのは、やはり98年冬であろう。カラーヴァリエイション豊富でオシャレ感あり!テザインはベーシックで合わせやすい!なおかつ価格は1,900円と超リーズナブル!そう、あの有名な「ユニクロのフリース」である。
そのキャッチコピーはテレビCMでも大々的に放送され、インパクトあり。僕の周りでも、購入者は多かった。
僕にとってさらに衝撃的だったのが、原宿にユニクロの路面店オープンである。
"オシャレに興味のない人が頑張りに行く所"であった、ユニクロ。それが日本のファッション発信源、原宿に堂々登場。そして、原宿にある高級ブランドの紙袋とともに、ユニクロの紙袋をぶら下げて歩く若者たち!
少し異様で、少し不気味、半ば信じられない光景であった。こうまで一メイカーの持つイメージが好転した例は、今も昔も、これだけじゃないだろうか?
この企業戦略は超成功であったろう。それまで廉価なメイカーに過ぎなかったユニクロが、"ブランド"としての地位を一気に確立。まさに劇的、まさに革命であった。
そして、「ユニクロ」が"ブランド"となったのを機に、巷でよく聞くようになったこのセリフ……。
「いいじゃん、ユニクロ」
今までユニクロを知りつつも見向きもしなかった人たちが、突然こんな事を言い出す矛盾、僕はものすごく嫌だった。
これも、僕がユニクロから離れていた理由の一つである。もちろん、ユニクロの品質を心底気に入って、誉めていた人もいたのだろうけど。
ユニクロ人気が決定的となったのは、翌99年だと思う。ファッションの選択肢として、ユニクロはほぼ定着。
「良いよ、………ユニクロ」
多少の後ろめたさとともに、こう言う友人たちが、僕の周りでさらに続出した。
そんな流れに、僕は当然のごとくますます反発。僕の頭が固すぎるだけなのかもしれないけれど。
そして、僕のユニクロ離れを決定的なものにしたのは、大学4年生の終わり頃、とあるショップの店主さんの、こんな呟きを聞いてしまったからである。
「アパレルは今、ユニクロの一人勝ちですよ(その当時の話)」
僕はこだわりが感じられるショップが好きだ。そして、このセリフを言った店主さんも、その"こだわりのショップ"を経営する方の一人であった。ユニクロに客が流れてしまい、自分のお店の商品が売れないと嘆いていた。
僕はユニクロ、嫌いではない。しかし、そのユニクロのために、僕の好きなショップがピンチとなっている。それならば、僕がユニクロになびくよりも、本当に微力ではあるが、好きなお店の売り上げに貢献した方が良いではないか………そう思ったのである。
かなり独善的な義侠心ではある。しかし、他人に迷惑をかけているわけでもない。
……とまあ、以上が僕のユニクロ離れの理由であります。うーん、本当に長かったねー。
ですが、ついに今年!ちょっとした縁で、僕の元にユニクロがやって来ました。そして今、そのユニクロを着て、この文章を書いているのだ。書いているうちに日付が変わってしまったが、2007年1月22日が、僕のユニクロデヴューであります。
この品質でこの安さ、確かに満足できる。やはり大人気メイカーだけある。
色々書きましたが、僕はユニクロ否定派ではなく、むしろ肯定派。単にこれまで買わなかっただけ。僕の事だから、おそらくこのパジャマも長年着続けるでしょうー。
※注
追記です。90年代半ばのユニクロは、今とは多少の差異が見られる。店舗の内装は今のようにカラフルではなく、提案しているファッションも、アメカジにストリートを混ぜたような雰囲気だった。
商品もオリジナル商品のみではなく、リーヴァイス、リー、ラングラーなど、他ブランドも少ないながら置いていたのだ。
(1月24日23時ごろ、追記)
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