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江原真二郎さん、どうもありがとうございました。

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江原真二郎さんと僕

40年近く前の舞台「座頭市」にて、準主演を務めたのが江原真二郎さん。そして僕は、その江原さんの息子役として共演させて頂きました。約一か月にわたる公演だったんですが、その公演もあと10日で終わる頃、その日の稽古が終わって、僕が楽屋に戻ろうしていると、江原さんに呼び止められました。

「あのシーン、もう一度稽古しよう」

そのシーンはこれまで散々稽古して来て、その日ももちろん稽古しました。と言うか、公演で既に散々演ってきたシーン。もう出来上がっているんだし、公演も終わりが見えている。これ以上、稽古しなくて良いじゃん、これ以上演ってどうするのと思った僕は、拒否しました。しかし江原さんは「稽古しよう」と何度も言ってきました。付き添いである僕の母親も、「江原さんが言っているんだから、稽古しなさい」と言ってきました。
渋々僕は、そのシーンの稽古を江原さんと二人だけで30分ぐらい行いました。画像はその江原さんとの稽古後に撮った写真です。江原さんの最後までお芝居の練度を高めたい、その役者魂が印象的ですし、そして僕には、「お芝居に対しては、妥協する事なく全力で臨みなさい」と教えて下さったのかなと思います。

あと思い出すのは、この日から少し前の10月14日。僕の誕生日です。この時も「座頭市」公演中で、その日の夜、僕(と僕の母親)が宿泊するホテルの部屋のドアをノックする音が聞こえました。ドアを開けると、そこには女性スタッフさん(江原さんの付き人さんか、マネージャーさんだったかも)。

「これ、江原さんから……」

箱を差し出すスタッフさん。江原さん、僕に誕生日プレゼントを下さったのです。スタッフさんが去った後に、僕の母親はプレゼントの箱を開けました。

「わーっ!カンサイじゃない!」

声を上げる僕の母親。プレゼントは、ヤマモトカンサイのセーター。色は上品なワインレッドで、柄や模様は入ってなかったと思います。

これがおそらく、僕が生まれて初めて入手した「ブランド物の服」でした。一応、僕の母親は昔、ファッションデザイナー志望だったので、カンサイのプレゼントに驚喜していました。

今の僕はもちろん服飾好きですが、その理由に子供の頃、こうやって良い服に触れていたのも影響しています。

他に覚えているのは、この公演は日本巡業だったので移動が多く、バス移動の最中、立ち寄ったバスターミナルにて、僕は特に意味なく、江原さんにくっ付いて行動していました。そして江原さんが自動販売機で飲み物を買おうとすると、「これで缶コーヒーでも買いなさい」と100円玉を渡してくれました(当時は自動販売機の飲み物、ほとんどが一缶100円)。

江原さんは見るからに紳士で、その見た印象そのままの優しい紳士でした。超×3ドクソ悪ガキだった僕にも一度も怒る事なく、上記のとおりの素晴らしい方でした。

ちなみに僕は、ずっと江原さんを「エバラさん」と呼んでおりました。しかし訃報の記事では「エハラ」さんと書かれおりますね……。優しい江原さんは、「エバラ」さんであろうと、大らかな心で許して下さっていたのかもです。

江原さんと共演した翌々年に、江原さんの息子さんである土家歩さんとも、東映撮影所の衣装室前で偶然お会いした事があります。土家歩さんは、(当時)衣装室の二階にあったメイク室から降りて来たところでしたね。この頃の土家歩さんは「兄弟拳バイクロッサー」にレギュラー出演中で、ほぼ間違いなく、その撮影で来ていたのだと思います。僕は土家歩さんと、ご挨拶と握手だけして頂きまして、ほんのわずかな時間でしたが、いかにも江原さんの息子さんと言った、爽やかで人当たりの良いお兄さんでした。それから数年後、土家歩さんの訃報を知った時は悲しかったですし、あの素晴らしい江原さんの息子さんですからなおさらでした。

江原真二郎さん、素晴らしい教え、素晴らしいプレゼント、お心遣い下さって、どうもありがとうございました。僕が大人になってから、ちゃんとお礼を言えなかったのが残念でなりません。ご冥福をお祈り致します。
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