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あえて言おう。僕にとっての巨人の背番号11番は久保裕也さ!!!

ファンの野球選手がまた一人……久保裕也投手の引退が悲しいです。ストレート、変化球、コントロール、打撃、守備、走塁、全てに秀でる万能型で、いかにも巨人の投手と言った感じの投手でした。背番号11番がよく似合っていましたね……。

久保裕也投手は木佐貫洋投手とともに自由獲得枠で入団。両者ともに松坂世代の大者でしたが、入団時、どちらかと言えば150キロの剛速球右腕、木佐貫投手の方に僕は注目しておりました。

一方で久保投手の触れ込みは、「七色の変化球投手」。

この触れ込みについて、当時の僕は怪しく思っていました。何しろ、過去にも「七色の変化球投手」と呼ばれていた投手はいましたが、実際に使えるのは3・4種ぐらいで他は見せ球程度にしか使えなかったり、クセ球やムーヴィングファストボールの使い手で、その都度変化が違うから七色扱いしているだけの事が多かったからです。

ちなみに巨人の投手なら、一時期の桑田真澄投手が5・6種ほどの球種を駆使していましたね。

そんな怪しく思いつつ、ルーキー・久保投手の投球を初めて見た03年のオープン戦。僕は驚きましたね。本当に七種使っていましてから。しかもストレートの走りも良く、ルーキーらしかぬ完成度の高さに僕は一瞬で虜。あっと言う間にファンになりました。



この凄いルーキーが、バンバン勝ってタイトル獲るのを見てみたい!と、先発投手として活躍する久保投手を僕は楽しみにしておりました。久保投手自身も、入団時の目標は「200勝」と、先発投手としてやって行きたいのが察せました。

しかし……当時の巨人は先発陣が充実しているうえ、当時の鹿取コーチが久保投手を「中継ぎタイプ」と判断していたため、久保投手は先発の可能性も、中継ぎの可能性もあるとされておりました。

この年の開幕前、先発ローテーションは上原、桑田、工藤、高橋尚、ルーキーの木佐貫が確定。そして谷間の先発である残り一枠を、久保と真田で争う形になっていました。そしてこの一枠に入ったのは、前年6勝の実績を買われて真田投手。

あ~………。

この結果に僕は落胆。久保投手は器用なのでリリーフ適性もあるのだろうけど、先発の方がさらに適正がある!と僕は思ってましたし、何より、先発投手として巨人のエースとなって欲しい!と僕の願望があったんですね。

さて、リリーバーとして開幕一軍入りした久保投手は4月2日の横浜戦で初勝利。これ、同期の木佐貫投手よりも早かったんですよね。そして4月はチーム最多登板、5月5日時点で32試合中17試合19イニング登板と、いきなりこき使われた。
このままだと使い潰されちゃうじゃん!と心配していた僕だったが、先発の一人である桑田投手が怪我で離脱すると、その代役に指名されたのは久保投手。チャンスだ久保!ここで先発枠を掴むんだ!と僕は期待しました。

そして5月15日、プロ初先発した久保投手は8回3安打10奪三振1失点の好投で勝利投手(ちなみに二岡選手が三打席連続ホームランを打っている)。久保投手は先日の引退会見にて、一番の思い出にプロ初登板とプロ初先発を挙げており、「初先発の日は、緊張と言うよりワクワクの方が強くて」と話しておりました。実際、プロ初先発した17年前も、「先発を言われたときは、顔がニヤケてしまいました」「ワクワクしてます」と話しており、やはり久保投手は先発が本懐だったんじゃないでしょうか……。

さらに久保投手は次の先発でも8回7安打9奪三振1失点で勝利投手と結果を出し、このまま上原、木佐貫、久保の三本柱だ!と僕は思ったものです。

しかし、久保投手はこの年のリリーフ陣大崩壊を助けるため、またリリーフに戻されたり、かと思ったらまた先発やったりの便利屋稼業。9月15日の中日戦は先発で4イニング投げながらも、翌日もリリーフで1イニング投げたりの酷使もあった。

なお、久保投手は三振を獲るのが上手い投手でもあり、この年の6月27日の中日戦で7者連続奪三振の記録も作っている。8者連続となれば新人タイ記録だったが、8人目で四球を出してしまい、記録は途切れてしまいました。久保投手も記録を意識していたそうだが、この記録が途切れた途端に崩れてしまい、5回6安打9奪三振4失点で負け投手になってしまいます。

久保投手は2010年に覚醒するまで、精神面の甘さがよく指摘されていましたが、ルーキー時にそれが見られた一幕です。さらにルーキーながら、写真週刊誌にスクープされたりもしていました。

あと、ルーキー時の久保投手は、七色の変化球投手にもかかわらず、なぜかストレート、スライダー、カットファストボール、フォークの4種ばかりの投球で、カーブやシンカーも良い切れなのに、あまり投げませんでした。あれは阿部捕手のリードのためか理由は分かりませんが、持ち味半減で不思議でした。

さて、原監督はこの年限りで退任。コーチ陣も一新され、これがキッカケで久保投手も先発固定されるかも?と僕は期待しましたが、新任の堀内監督も久保投手を便利屋扱い。そして、勝負弱さや精神面の甘さは日を追うごとに顕著になって行った。

精神面の甘さは試合以外でも見られ、05年3月9日には飛行機に乗り遅れ、練習に1時間以上遅刻して坊主にさせられたり、第2次原政権になって秋季練習の05年10月21日にも寝坊で1時間以上遅刻し、第2次原政権で怒られた選手第一号になったりしていた……。

さらに06年のオープン戦、3月7日の横浜戦で吉村裕基選手から、12日の阪神戦では濱中治選手から、いずれも投手有利のカウントからホームランを打たれ、さらに濱中選手の次の片岡選手には死球も与える失態。この12日の降板時、原監督にケリを入れられつつ3分間の説教を食らった。
もっとも、その翌日の濱中選手の打席の際、久保投手はまたリリーフ登板で名誉挽回のチャンスを与えられ、三振に獲っていたね。

この06年終盤は、久保投手は特に試合を壊すケースが目立ち、これで信用を失ってしまったか、以降は出番は激減。原監督は06年シーズン終了後から、「上手い選手より強い選手を」と言うようになっており、甘さが見える久保投手は、原監督にとって「上手いけど弱い選手」だったと思われる……。

07年5月5日にはプロ初完封を記録するものの、久保投手の実力からしたらもっと早く達成してないとおかしかったし、何より、これがプロ最後の完投勝利になるとは……。そしてそれ以降はなかなか勝てず、8月26日の広島戦、8回7安打無四球1失点で久々の勝利。その時のコメントが下記。

「ラストチャンスだと思って、失敗したら今年の登板はないと思っていました」

そして2008年9月16日横浜戦、この年初先発すると8回6安打1失点で、この年初勝利。その時のコメント。

「チャンスは1回しかないと思いました。1回ダメなら次はないという気持ちで投げた」

さらに2009年8月27日、中日との首位攻防三連戦の三戦目に先発すると、6回2/3を5安打9奪三振2失点で相手エースの吉見一起投手に投げ勝った。この勝利で巨人は三連戦三連勝でマジック点灯し、優勝に大きく前進。そして久保投手のコメント。

「今日がラストチャンスだと自分に言い聞かせた。野球人生をかけてマウンドに上がった」

ラストチャンスが3年連続もあった久保。

それだけ出番がなく、立場が危うかったんですな。とは言えこの3年間は、上記のようにペナント終盤と言う、投手の台所事情が苦しくなった頃に先発勝利し、つまり、出番は少ないのにペナントの流れを有利に持って行く印象的な勝利であり、ちょっと美味しい役回りでもあった。

そんな燻っていた久保投手だったが、2010年はリリーバーとしてチーム年間最多登板を記録を達成する大活躍。PNFトレーニングを導入したり、左足を深めに捻ってゆっくりと下ろす、ためを作るフォームに変更したのが球威向上に繋がった様子。投球内容も、かつてのように慎重になり過ぎたり、いざフィニッシュの時に失投したり、いきなり先頭打者に四球を与えたりなどの精神面の甘さが改善され、攻めの投球ができるようになった。

テレビ番組によると、久保投手は08年オフに内海哲也投手に練習に誘われ、「このままじゃダメになりますよ」「もうちょっと練習しなよ」と言う事を言われたそうです。それが刺激となったのもブレイクの理由。以前は練習をさぼるタイプだったと内海投手は話しており、久保投手自身もそれは引退会見でも話しておりました。

ちなみにこの08年オフの効果もあったのだろうか、久保投手は09年優勝決定後の9月26日の広島戦で8回1安打7奪三振無失点。
10月3日ファーム日本選手権でも2失点完投で優秀選手賞。
10月18日のフェニックス・リーグのソフトバンク戦では4回3安打7奪三振無失点。

以上のように、実は09年の終盤、消化試合や格下相手ではあるものの好投しており、2010年の大活躍の予兆はありました。もっとも、上記ファーム日本選手権では味方が1点も取れなかったため敗戦投手だったのか久保投手らしかったなあ……。

さて、さらにもう一つ、ブレイクの理由。

「木村拓也さんが亡くなったことで、僕の気持ちが大きく変わったというか、モヤモヤしたものが吹っ切れた」

久保投手引退会見でのコメント。木村拓也選手は07-09年の巨人三連覇において、「強い選手」として活躍した選手でもありました。

そして、この"もやもやしたもの"とは何だったのだろう。僕は恐らく、先発志望だったのに、リリーフやったり先発やったりの便利屋稼業が本懐ではなかったのだろうと推測しています。しかし、ついに吹っ切れ、便利屋を受け入れたのでしょうね。

2010年4月8日の阪神戦では、5回4失点で降板した内海投手を久保投手はリリーフ。そして3回2安打無失点の好投。

「今年は状態良いと思いますよ。キレの良いボール来てますよ」

この試合、解説の槙原寛己氏は今年の久保投手を高評価。

「内海が苦しい時に、一つ恩返しできたかな」

この試合終了後の久保投手のコメントで、自分を変えてくれた内海投手に感謝している様子でした。そしてこの試合は木村拓也コーチが逝去した翌日であり、木村拓也コーチ逝去後の久保投手初登板であった。

さらに4月20日、久保投手は下記のコメントもしておりました。

「今は拓(木村拓也)さんの気持ちを受け継ぐ気持ちでやっています。拓さんのことがあって、チームには、拓さんのように何でもできる選手が必要なんだと改めて思いました」

なお、10年4月28日、Numberの記事にて、セットアッパーでもクローザーでもない、試合の流れを“リセット”する投手、"リセッター"として挙げられた一人が久保投手。この時の久保投手の立ち位置の、上手い表現だと思いました。

久保投手はリセッターとして好投を続けるうち、やがてセットアッパーとなってチームのリリーフエースに。この好成績に自信が付いたのか、久保投手はこの年のオフ、「防御率1点台が理想」と語った。そして翌年、前半戦はセットアッパー、後半戦はクローザーと、八面六臂の大活躍で、当時のチーム新記録である20試合連続無失点(20イニング2/3)、8月はリリーフ失敗が一度もなく、防御率0点台で月間MVP。終わってみればこのシーズン、20ホールド20セーブ、そして言葉どおりの防御率1点台を成し遂げた。

05年オフ、「翌年はリリーフとして防御率0点台を目指す」と言って、3点台に終わった自爆キャラが嘘のようだ。


でも、この20試合連続無失点記録も、翌年に早くも山口鉄也投手に破られてしまったのが久保投手らしかったなあ……。

ついに大活躍となった久保投手だが、ルーキー時から便利屋として使い倒され、さらに10・11年と2年連続酷使のツケが来た。翌年以降は故障による離脱期間が長く、球威も落ちた。

14年に本格復帰するものの、この年の6月18日のオリックス戦では二者連続死球で押し出し。

8月24日の中日戦では三者連続押し出しで、その三者でストライクが入ったのは2球だけ。三人目の押し出し四球となった谷繁元信選手兼監督の打席では、初球、小林誠司捕手がド真ん中にミットを構えているにもかかわらず、明らかに高めに外れて、「あ!(ボール)浮いた」と解説者さんが困惑。

「久保投手ぐらい制球の良いピッチャーがこうやってなるんですから、ねえ、野球って分かんないですよね」
「これほどまでにストライクが入らない久保ってのを私初めて見ましたね」

そう解説者さんに言われるほどの大乱調。一時的なイップスに陥っているようにも見えた。

8月31日の横浜戦では5年ぶりに先発し、まずまず好投するものの、6回の投球練習中に足がつって降板と、10・11年の久保投手とは明らかに違う姿だった。

やがて戦力外通告を受けて横浜へ移籍となったが、横浜でのキャンプ初日に20分遅刻してたのはファンとしては面白かったね。
もっともこのキャンプ、ブルペンでは唯一の皆勤賞だったそうで、やはり意気込みが感じられました。

とは言え、大学時代から既に右肘に故障歴があり、さらに巨人時代に大分使い倒されたのも事実。横浜に拾われたのはラッキー。やれても1・2年だろうと僕は思っていました。実際、巨人退団後は戦力外通告と隣り合わせの波乗り状態。それでも淡々と自分の仕事をこなし、そして来年の契約に繋げていく姿は、2010年からの"吹っ切れた"感をそのまま持続させてのプロ野球生活だった。ちなみに巨人退団後の17年1月も、内海投手の合同自主トレに参加していました。仲良いんでしょうね。

結果として、巨人を退団しても楽天への移籍も含めて5年も続いたのは感嘆、そして嬉しかったですね。

「限界まで頑張ります。野球が好きなので」

巨人退団時、久保投手はそうコメントしていましたが、本当に頑張りましたね、久保投手……。40歳まで現役は松坂世代の中でも長寿に入る。

とは言え、新人時から先発ローテーションに固定される久保裕也投手のプロ野球人生が見たかった!と言うのも、僕の本音です。左投手でもスタメン固定される清水隆行選手のプロ野球人生を見たかったように!

あえて言おう。僕にとっての巨人の背番号11番は久保裕也さ!!!

久保裕也投手、素晴らしい投球をありがとうございました。お疲れ様でした!!

※今回の記事は、過去に僕がウェブサイトやweblogに書いた内容も交えて作成しました。

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