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奥村雄大(鴈龍太郎)さん、どうもありがとうございました。

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奥村雄大さんと僕

大変遅れ馳せながら、鴈龍太郎さんがご逝去されていたと知りました……。まだお若いのに……。僕としては、本名である奥村雄大(たけひろ)さんの名の方が馴染み深いですね……。

雄大さんとは、1983年10月と1984年3月の舞台版「座頭市」にて共演させて頂きました。そして、この1983年10月の「座頭市」公演が、雄大さんの初舞台と聞いております。

「お兄ちゃん、年いくつ?」
「19歳だよ」
「僕とお兄ちゃんは"大人"じゃないね」

公演当時、そう言った会話をしましたね。確か1983年10月公演の出演者で、未成年男性だったのは雄大さんと僕だけだったと思います。

雄大さんのお父様である勝新太郎さんは大変優しい方で知られており、全くそのとおりなのですが、雄大さんご自身も大変優しい方でした。

「大輔、退屈してないか?」

雄大さんは楽屋で僕と顔を合わせると、僕によくそう声をかけてくれました。1983年10月公演では、子役出演者は僕だけ(1984年3月公演では、僕ともう一人、子役出演者がいました)であり、僕に遊び相手がいない事を、雄大さんは気にして下さったのです。

雄大さんが「大輔、退屈してないか?」とよく声をかけてくれた事で、僕は「退屈」と言う言葉を覚えました。それほど、雄大さんは僕に気遣って下さったのです。

この公演中、僕は6歳の誕生日を迎えまして、勝新太郎さんにプレゼントを頂いたのですが、僕が誕生日プレゼントを頂けると事前に知った雄大さんは、僕に話しかけて来ました。

「誕生日プレゼント貰えるんだってな。プレゼント貰ったら、そのプレゼントでお兄ちゃんと遊ぼうな」

そして誕生日当日、僕は事前にリクエストしていた、「ガンロボ・ワルサーP38アンクルセット」を頂きました。プレゼントを頂いて楽屋に戻る僕に、雄大さんは声をかけて来ました。

「おっ、プレゼント貰ったのかあ。それじゃあ、お兄ちゃんと遊ぼう」

雄大さんは「ガンロボ・ワルサーP38アンクルセット」の説明書を見ながら、遊び方や組み立て方を僕に話しつつ、いっしょに遊んで下さいました。本当にお優しい方でした。

5-6歳時の記憶なので、もしかしたらどこか違う点があるかもしれませんが、雄大さんについては、上記の事を思い出します……。僕は舞台「座頭市」でも、皆様にご迷惑をかけっぱなしでした。本当に申し訳ありませんでした。そして、そんな僕にもお心遣い下さった雄大さんに、直接お礼を言いたかったですし、あまりにお若いご逝去が残念でなりません。

奥村雄大さん、いつも優しく接して下さいまして、どうもありがとうございました。ご冥福をお祈り致します。
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