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旅の編集後記っぽいのを……

CATEGORY靴・服飾
旅の終盤の僕

思っていたよりも長引いた旅の報告。本当なら、もっと早く終わらせたかったのですが……。

実のところ、旅の間、色んな職人さんに、いつ頃、僕のWeblogに記事は公開されるのか聞かれたんですよね。

「そうですね~、(2015年)6月に帰国するので、それから3・4カ月ほど待って頂ければ……」

大嘘になってしまいました………。

それでも記事公開を待って下さった職人さんをはじめ、関係者の皆様に感謝でございます。どうもありがとうございました!そして、申し訳ありませんでした。

さらに旅の最終地、ローマでの古幡雅仁さんと僕との会話。

「レポートまとめるのどのくらいかかるんですか?2年くらいとか?」
「いや~とにかくなるべく早く………できれば、3・4か月とか………」

古幡さんの言ったとおり、2年かかってしまいました……。

そして、この最終地に到達時、僕は長旅のせいでもうぼろんぼろん。

冒頭画像は古幡さんが住んでいたローマのアパートでの撮影でして、暑いイタリアでは、僕はこんな軽装で工房を巡っておりました。左手に持っているのはiPad。肩から掛けているショルダーバッグはTUMI。容量が大きく、ポケットも多く、そしてトゥルーバリスティックナイロンが柔らかく軽量で丈夫、雨にもまずまず強いと、機能性抜群なので、僕は旅行にいつもこれを使います。もちろん、旅行だけでなく、普段でもたまに使っています。デザインは面白みに欠けますが、どんな服装とも合わせやすい長所があります。
購入したのは02年9月と大分前ですが、まだまだ活躍してもらおうと、今回の旅でも持って行きました。


擦り切れたTUMI

しかし、強靭で知られるトゥルーバリスティックナイロンも、旅の9か月連続使用は厳しかったようで、内側には擦り跡ができました……。


擦り切れたTUMI

擦り跡の拡大。でも言い換えれば、購入した02年9月以降、普段からたまに使っており、旅行の際は連続使用しているにも関わらず、なおも擦り跡で済むぐらい強靭とも言えますね(穴は開いてない)。


壊れた留め具

そして旅の最中、バッグの蓋の留め具も壊れました。壊れたのはヘルシンキに滞在していた14年12月はじめで、つまりまだ旅の前半。この留め具はTUMI直営店でないと修理できないだろうし、直営店だと修理日数もかかるだろうから、結局、ずっとこのままで旅を続けておりました。これはカッコ悪いと言うか、貧相と言うか……。冒頭画像でも、TUMIの留め具が外れているのがお分かり頂けると思います。


壊れたTUMI

もっとも、ダブリン滞在時にはバッグのベルトの左の付け根が切れまして、


壊れたTUMI

トリノ滞在時は、今度は逆、ベルトの右の付け根が切れました。いずれも修理屋さんで直して貰ったのですが、その修理屋さんを探すのも、知らない土地では難儀するし、しかも旅は続いているため、即日修理してくれるお店となると、なおさら面倒です。そして何より、この事による時間のロスがとても惜しい……。

そして、鞄のベルトに取り付けられている赤いのはカメラケースです。このカメラケースも、旅の終盤はかなり傷んできておりました。


擦り切れたカメラケース

ご覧のとおり、縫い目が裂けております……。なお、カメラケースは冒頭画像のように、いつもショルダーバッグのベルト前に取り付けており、撮影したい時にすぐに取り出せるようにしておりました。前方にあったら、盗まれる心配も減りますしね。

そして僕自身はと言えば、連日歩きづくめのため、スペインにいた頃から足裏が痛くなっており、歩くのが辛くなっていました。

「あと1カ月半我慢すれば良いんだ。あと1カ月半、頑張ろう」

そう言い聞かせて、足裏の痛みに耐えていました。この痛みは帰国してもなかなか引かず、11月頃まで続いていました……。

とは言え、その足裏の痛みも、靴や服の工房に入るとスッと消えて、職人さんとの会話に夢中になってしまう自分がいると、僕ってやっぱり靴服オタクなんだなあ、と思ったりして。

もうとにかく疲労困憊で、日本に帰国しました……。

9カ月もの長旅を終えたのだから、やはり帰路においては感慨深いものがこみ上げて来るのかなと思っていたのですが、実際のところは日本に向かう飛行機も、これまで何度も行って来た長距離移動の一つと同様に思えて、何も感じませんでした。


帰りの赤羽駅

日本に降り立ち、9カ月ぶりの日本の風景、日本の電車を見ても、やはり何も感じず……我ながら意外でした。04年に2カ月旅して、日本に戻って来た時はかなり感慨深かったのですが……。まあ、海外旅行も何度か行っていると刺激も薄まるでしょうし、何よりとにかくもう疲れ果てていて、感慨にふける余裕もなかったのですね。

旅先では結構写真も撮りましたが、街並みの写真を見ても、その街の雰囲気、空気とかかがあまり蘇りません(旅の目的の一つだった、沿ドニエストル共和国など、一部の街は除く)。僕のキャパシティのなさもあるのでしょうけど、街の雰囲気を楽しむほどの余裕がなかったんですね。

一方で、04年や06年に旅した写真を見ると、その時に感じた雰囲気などがまざまざと蘇るので、04年と06年の旅は、本当にのんびりしていたんだなと思ったりして。今回の旅は毎日やる事が多すぎて、本当にしんどかったです。

工房訪問はもちろんの事、他にも工房はないかと街のあらゆる所を歩き回り、そして職人さんたちとのアポイントをはじめとするメールのやり取り、職人さんと英語が通じなかった時のため、旅の目的や、聞きたい事をいくつか予め現地語で書いて、iPadに入れておいたり。もちろん、Google翻訳を利用して書くのですが、間違いのないように逆変換して確認し、しかも僕、PCではなくiPadで書いていたため、結構な手間でした。もちろん、語学力がなく、ノートPCも持ってない自分が悪いのですが……。

そして長旅ですから安いルートを探してチケットを取り、宿泊先を手配し、行き先にどんな工房があるかを調べ(旅立つ前にある程度調べてはいますが、もう一度調べる。調べてない街もあります)、行く町がどんな所なのか調べ、旅の記録として日記を付け……。

日記は付けなくても良いのかもしれませんが、付けてないと個人的に後悔するんですよね。ただ、日記って面倒なので、帰国して真っ先に、「もう日記を付けなくて良いんだ」とホッとしました。まあ、疲れて書く気力が起きない日もありましたけど……。特にロンドン、パリ、イタリアは忙しく、やはりビスポークの中心地と実感しました。それらの次に忙しかったのはベルリンでしょうか。

そして外国だと、言語をはじめ、知らない事、分からない事だらけのため、思い通りに行かない事もしばしばで、これらが続くと結構なストレスです。旅をしていると、自宅がいかに自分が住みやすいようにカスタマイズされているか実感します。

もっとも、僕は要領が悪くて不器用で、さらに超優柔不断(宿をどこにするか無駄に悩みすぎたりする)なので、もっと仕事ができる人ならば、そんなに難しくないのかもしれません。と言うか、語学力がない時点で、僕は相当な能力不足です。

アポイントを取る際のメールで、「僕は語学が苦手です」と伝えてはいるのですが、それでもやはり先方と話していて、申し訳ない気分になります。

「すいません。僕、英語が苦手で」
「気にすんなよ。俺だって日本語分からないんだ」

そうお気遣い下さる方が多くて、本当に有り難かったです。さらに、英語が苦手な職人さんの中には、僕が伺う日時に、英語ができる方、もしくは日本語ができる方を呼んで下さった方もいて感動しました。

街並みの写真を見ても、その雰囲気や空気が蘇ってこないと前述しましたが、工房や店内の写真を見たら、その雰囲気や空気はしっかり思い出されます。工房や店舗訪問がメインの旅ですから、当たり前かもしれませんが……。

「この人、こんなに親切にしてくれたんだよなあー」
「この人、僕に食事(またはお酒)をご馳走してくれたんだよなあー」
「この人、僕にあの人を紹介してくれたんだよなあー」

などなど、その時の思い出がまざまざと蘇ります。

僕にとって、お会いする方々の多くが初対面であり、つまり先方にとって、僕はどこの馬の骨とも分からない奴です。それでも温かくご応対して下さった皆様に、とにかく感謝するばかりです。

そして、親切にして下さったのは、工房や店舗関係者の皆様だけではありません。旅路にてお会いした知らない方々にも、何度も親切にして頂きました。そう言った話は、拙著「ヨーロッパ靴服風来行」のように、いつか旅日記形式で発表したいですね。

実のところ、旅の初めは若干の迷い、戸惑いもあったんですよね。

「僕なんてマスコミの人間でもなければ、アパレルや靴業界の人間でもない。たかが、靴と服のウェブサイトを運営しているに過ぎない。そんな僕が、自分のWeblogと電子書籍で紹介したいからと言う理由で、工房にお邪魔して良いのだろうか?」

そんな思いがしばしばよぎって、何となく遠慮があったのですが、それが吹っ切れたのは、ウィーンにて、Bernhard Niedersüß(バーナード・ニダーズース)さんとお会いしてからです。


バーナード・ニダーズースさん

ウィーンの若手ナンバーワンテイラーとウィーンの服飾業界の方から聞いており、しかもクニーシェ社長であるRudolf Niedersüß(ルドルフ・ニダーズース)さんの息子さんと言うサラブレッド。アポイントが取れるか分からなかったのですが、お昼の30分なら大丈夫とアポイントが取れ、それでも凄そうな人なので緊張して工房に向かいました。

「30分の間なら、何でも聞いてよ!」

僕の緊張を払拭させる、とても気さくで明るい方。そして質問にも丁寧に答えてくれて、こんな凄い人が、僕みたいな見ず知らずのうえ、英語も苦手な奴に優しく応対して下さっている!と感激しました。結局、30分の予定が、1時間近くいました。

「………そうだ、僕はこれまで何を怖気づいていたのだ。先方が来て良いと言っているのだから、気後れする事はない。ヨーロッパを周っている貴重な機会。礼儀は保ちつつ、どんどん質問して、後悔のないようにしよう」

それ以来、積極性が出て来ました。

ちなみに、「職人は無口」とよく言われますが、僕の印象は違います。職人さんに技術的な事を聞いたら、本当によく話してくれます(ヨーロッパはもちろん日本も)。バーナード・ニダーズースさんの時もそうでしたが、それで話が盛り上がって、工房に長居してしまった事もしばしばです。もっとも、長居した事でお仕事の妨げになってしまったかもしれず、申し訳なくもありましたが……。

この旅を自己採点するならば、100点満点中60点ぐらいでしょうか。もちろん、当初は100点満点を目指して行ったのですが、思いのほか時間がなくて工房を巡れなかったり、職人さんの都合が悪くてお会いできなかったり、またはWeblogの掲載拒否とか、門前払いされたり……。
工房を訪問しても、時間が足りなかったり、僕の語学力不足や知識不足、或いは忘れてしまったり、または「そんな雰囲気ではなくて」、聞きたい事を聞けなかったり、なかなか思い通りにはいきませんでした……。

特に最初の二ヶ月くらいは、先方とのアポイントの取り方や、アポイントが取れなかったお店、または偶然見つけたお店での交渉の仕方、見知らぬ工房をネットで見つける方法、街へ移動する最短・最安距離の探し方など、要領を得てないために失敗や不足な点が多く、最初の二ヶ月はやり直したい気分です(笑)。

気付けば長文となりました……やはり、濃密な9か月だったんでしょうね。次回はヨーロッパの食べ物について、少し書こうと思います。ただし、高い食べ物は食べてないので、ご了承下さい……。
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