Ryota Hayafuji in München and Theo Hassett in Melbourne(ミュンヘンの早藤良太とメルボルンのテオ・ハセット)
CATEGORY靴・服飾

【Ryota Hayafuji Shoemaker(リョウタ・ハヤフジ・シューメイカー)】
住所:Preysingstraße 68, 81667 München
価格:ビスポーク・シューズ、シュー・トゥリーとシューバッグ込で3,000ユーロ~。
仮縫いについて、直接工房に来るお客さんには、トライアルシューズを持ち帰って頂き、1週間~2ヶ月ほど試し履きをして頂きます。その後、再度工房でミーティングし、調整の必要性があれば新たにトライアルシューズを作成。微調整で大丈夫そうであれば本番の靴を作成します。1年+αで完成。
1972年生まれの早藤良太(Ryota Hayafuji)さんは、23歳から勤務していたトレーディング・ポストの販売員時代に靴作りを興味を持ち、独学で靴作りを開始。とは言え、靴作りを学ぶ環境が乏しい当時だったため、上司だった長嶋正樹(トレーディング・ポスト創業者)さんに相談したところ、セントラル靴を紹介してもらえ、同社に自作の靴を持ち込んでは、批評やご助言を頂いていたそうです。そして、さらに靴作りを深く学ぶべく、英国のコードウェイナーズ・カレッジへ。
コードウェイナーズ・カレッジでは、現フォスター&サンの工房長である松田笑子さんや、現六儀のラストメイカーである大久保尊氏さん、かつてベンヤミン・クレマンやジョン・ロブ・パリに所属し、現在もフランスで活動中の福岡大樹さんたちと同期。そして一学年下には、現ジョン・ロブ・ロンドンの製甲師、豊永映恵さんがおり、今日のビスポーク・シューズ業界を支える面々が揃っておりました。
コードウェイナーズ・カレッジ卒業後は、パリに渡ってディミトリ・ゴメスさんに師事。04年にパリから帰国すると、日本のタイ・ユア・タイにて靴修理を受けつつ、ご自身のビスポーク・シューズも製作。そして09年より、ミュンヘンにて活動を開始しました。

早藤さんとミュンヘンのご縁の始まりは、早藤さんがまだ日本で活動していた08年。BS1で放送されていた海外紹介のTV番組にて、ミュンヘンの陶芸家さんがインタヴューを受けており、その陶芸家さんの活動場所は、元々は貧しい労働者さんが住むエリアだったのを、ミュンヘンの政策で芸術家さんたちが活動するエリアに切り替えたと言うエリア。こう言う所に住めたら良いなと、早藤さんは思ったそうですが、時が経つにつれ、そのエリアがミュンヘンだと言う事は忘れてしまったそう。
やがて09年に、ラストメイクにおける足裏のアプローチを知りたいのと、自分が知らない場所で学びたい気持ちがあっため、ドイツ行きを決めた早藤さん。そのドイツのどこに行くかは、「地球の歩き方」を買って、目をつぶってドイツの地図を指差し、その指差した所がミュンヘンだったので決定したとか(笑)。
ミュンヘンに到着し、まずは語学学校に通う早藤さんだが、学校は午前中だけだったため、午後はミュンヘン各地を散策。その時に偶然やって来たのが、かつて早藤さんがBS1のTV番組で観た、芸術家さんたちが集うエリア。忘れていたそのエリアだったが、見覚えのある風景だったため、番組の事も思い出したそうだ。
2010年からはミュンヘンのマイスターに雇われて働き、2012年には個人事業主申請を行う。その申請の際、早藤さんは商工会議所の担当者さんに、町のマイスターが作る、リーズナブルに仕上げられているハンドメイドシューズと、かつての王室御用達のハンドメイドシューズを出し示し、同じハンドメイドシューズでもこんなに違うと言うのを分かって頂き、そして自作のハンドメイド・シューズを出したそうです。
「自分が作るハンドメイド・シューズは、町のマイスターのハンドメイドシューズと、かつての王室御用達のハンドメイドシューズ、どっちに似ていると思う?自分が作っているハンドメイドシューズはこう言う靴(かつての王室御用達のハンドメイドシューズ)だ」
このプレゼンテーションにより、担当者さんも個人事業主申請について一筆書いてくれる事となったそう。その甲斐あって、晴れて申請は受理されたそうです。
早藤さんは自らポスティングをして、自宅兼工房として家を貸してくれる人を募集。それで唯一連絡をくれたのが、かつてBS1で見た、芸術家さんたちが集うエリアの大家さん。その大家さんにとって、家を貸す相手は早藤さん以外にも候補者がいたそうですが、大家さんは親戚に日本人がおり、本人も座禅を組んだりする日本好きだったため、早藤さんに決定。早藤さんの自宅兼工房が運命的なその場所に決まり、「ようやくPunktlandung(プンクトランドゥング=着地点)したかな」と早藤さんはお話されていました。
そして、ミュンヘンで独立開業してから、早藤さんはネクタイを締めて仕事をするスタイルになったそうで、上画像でもタイドアップしていますね。
ちなみに偶然ですが、僕が早藤さんの工房に伺った2014年9月17日が、早藤さんがミュンヘンに降り立ってちょうど5周年。そして、早藤さんの在住エリアが芸術家さんたちが住むエリアに切り替わって、25年の年だったそうです……。
「ドイツでは日本、英国、フランスほど、どこが一番かのような競争がない」
そう語る早藤さんの姿に、居心地良くドイツに住んでいる様子が伺えました。ドイツはマイスター制度もあって靴職人さんがそれぞれの地域に根付いており、生活において身近な存在。それが競争のない理由の一つかもしれません。

早藤さんのビスポーク・シューズサンプル。

これらのサンプルはショートノーズのラウンドトウで、トウにヴォリュームもあり、ドイツらしさがありますね。

こちらは英国靴のような雰囲気です。

職人ながらデザイナー気質も強い早藤さん、上のようなオリジナルデザインもあります。とは言え、まとっている雰囲気はあくまでクラシックですね。
「イギリス、フランス、ドイツのやり方を身につけたけど、今はそれらから脱却しようとしている状態」
早藤さんはご自身のハウススタイルの現況を、そのように語っておりました。
「英国スタイル、イタリアスタイル、フランススタイルなどにこだわっている職人さんがいて、それはそれで凄いと思うけど、自分が目指しているのはそこではない。何十年か経って誰かが自分の靴を履いて、なんとなくではあるけれど、これは早藤って職人が作ったっぽいな、そう思われるような靴を作りたい。ヒストリーに残るのではなく、レジェンドになるのが理想」

ラストの素材はブナ。ラストメイキングについて、早藤さんは英国やフランスのビスポーク・シュー・メイカーと同様に、ラストとしての形を成していない上の状態から、全面を削り出して下の状態へ持って行き、ラストとして機能する形を出します。なお、ラストを荒削りするための斧を早藤さんが入手したのは、ミュンヘンにて独立開業してからだそうです。

素晴らしい出来栄えの底付け。もちろん、早藤さんご自身によるものです。

早藤さんが掲載された南ドイツ新聞が、工房内に飾られておりました。知り合いの記者さんが採り上げてくれたそうです。この記事の掲載日について早藤さんは知らず、たまたまスーパーで知らない人に、「今日の新聞見たよ」と声をかけられて、初めて掲載を知ったそうです(笑)。
それ以来、工房の前を通った人が声をかけてくれたりと、周囲からも知られるようになったそうです。さらに、知らないおばあさんが、ご自宅にあった古い靴を、「あなたに渡した方が役に立つだろう」と、早藤さんに持って来てくれたりもそうです。それが素晴らしいクォリティのレディースシューズで、早藤さんも驚いたとか。さらに、新聞の影響もあって、弟子入り希望のメールがドイツ国内や、アメリカからも来るそうです。

工房内の様子です。

早藤さんは10代の頃からファッション、ヴィンテージ・クローズに興味があり、日本に一時帰国していた02年頃は、オールド・ハットにてアルバイトをしていた事もあるほど。その早藤さんらしい、クラシックな雰囲気が漂います。

【Roberts & Hassett(ロバーツ&ハセット)】
住所:Level 1 / 2 Somerset Place, Melbourne.
29 High St, Kyneton.
価格:ビスポーク・シューズ、1,500オーストラリア・ドル~。
1984年生まれのTheo Hassett(テオ・ハセット)さんは、James Roberts(ジェイムス・ロバーツ)さんと組んでオーストラリアのメルボルンにて活動するビスポーク・シューズ職人。僕が早藤さんの工房を伺った当時、テオさんもブダペストやフィレンツェなどの欧州の靴工房を巡っており、偶然にも僕と同日、早藤さんの工房を訪れておりました。

テオさんが履かれていた自作の靴で、素材はカンガルー革。同じくオーストラリア出身のセバスチャン・タレックさんもそうですが、母国では馴染み深いカンガルー革は充実しているそうです。
テオさんのビスポーク・シューズは、仮縫い時にトライアルシューズを作成し、一ヶ月で完成。ラストメイクについては、所有しているヴィンテージのラストをモディファイして合わせるそうです。そして、オーストラリア人はイタリアンラストを好むともお話されていました。

さらにテオさんは、革鞄にベルト、財布などの革小物も作っており、オンライン・ショッピングも可能です。ちなみに財布は全てカンガルー革です。さらに、靴教室も開講しております。
※情報はいずれも、僕が訪問した2014年9月17日時点のものです。
※以前の雑誌「LAST」issue9(2015年10月28日発売号)の早藤さん特集と似通った箇所が多々ありますが、これは僕が早藤さんより伺った話と同じだったためです。
※2017年5月30日16時5分、記事を一部修正しました。
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