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松井秀喜選手の思い出

あまりにもたくさんありすぎるので箇条書きで。記憶を頼りに書いている部分もあるので、事実とやや異なる点があるかもしれません。ご容赦をお願い致します。なお、僕はメジャーリーグの試合はほとんど観ないので、日本時代限定です。とは言え、09年ワールド・シリーズMVPは嬉しかったですね……。


・「でかい耳(福耳)してるなあ。これは大物になるぞ」

92年ドラフト会議の日、高校三年生の松井秀喜選手を見て、僕の父親の一言。


・1年目は内野手登録

高校時代はサードだったためでしょう。そして松井選手も、本当はサードをやりたいとよく口にしていました。首脳陣も外野かサードか、まだ悩んでいたんでしょうね。


・1年目、イースタンの試合ではトップバッターを打つ事が多かった。

早くプロに慣れてもらおうと言う、首脳陣の期待の表れでしょう。また、この頃の評論家諸氏も、松井選手が俊足な事もあり、「トップバッターをやらせてもいいかもしれない。トップバッターをやらせたら、野球を覚えるのも早い」とコメントしておりました。




・94年開幕戦で2本塁打

高卒2年目にして開幕3番に座った松井選手は、2本塁打を放ってこの試合の圧勝に貢献。2本目を打った際には、「落合の後の4番は決まった!」と僕は思わず声を上げたものです。その後もシーズン序盤は打ち続けて、4月の月間MVP。当時の淡口打撃コーチによると、「松井の打撃は昨年とさほど変わってない。変わってるとすれば、プロとの慣れ」みたいなコメントがありました。


・ヘルメットを外し、伸ばした髪をパサッと揺らす

94・95年頃の試合中、松井選手によく見られた所作。不自然に色気づいた所作で、精神的に緩んできているのかな?と思いました。なお、この所作については当時の「ジャンプ放送局」でもネタにされておりました。


・95年8月17日の広島戦、巨人は一時6点リードを許すが、松井選手の満塁ホームランを含む、2本塁打5打点の大活躍で、7-6と逆転。しかし、この後、投手陣が打たれて7-8と巨人は逆転負け。

松井選手ってヒーローになり損ねるタイプなのかも……と僕が初めて思った瞬間。


・96年の開幕戦、かの「松井4番1000日構想」の言葉どおり、あの落合選手を退けて4番に座る

しかし、真面目過ぎる性格が仇となったのか、プレッシャーをもろに受けているようで、開幕以降不振が続く。一方で、落合選手が絶好調だったため、5月からは3番に戻る事に。しかし、これを契機に重圧から解き放たれたか、以降は大活躍を見せてMVP。

94年オフに落合選手から、「96年には全日本の4番を獲らなくてはダメだ」と言われていたが、そのとおりの躍進を見せました。


・96年9月24日、首位を争う大一番の広島戦にて、苦手の大野豊投手から2点タイムリーツーベース

松井選手はプロ入りして、大野投手との初対戦で、そのストレートを見て、「見た事もない速い球だった。こんな球打てない」と度肝を抜かれたらしい。その大野投手から打てたタイムリーで、「自分が大野さんから打つなんて珍しいですよ」と大喜び。


・96年9月3日の横浜戦でホームランを放ち、この年の東京ドームでのホームランは21本目。東京ドームでのシーズンホームラン記録が、93年のウインタースとトップタイ。そして、この年の東京ドームの試合、残り11試合あった。
・96年9月18日の横浜戦で38本目のホームラン。22歳以下の記録としては王貞治氏とトップタイ。そして、残り10試合あった。
・96年9月24日の広島戦に99打点目を挙げて、22歳以下の記録としては張本勲氏とトップタイ。史上最年少100打点が目前であり、残り6試合あった。


しかし、その後はまったく打てず、新記録全部未達成。本塁打王と打点王の二冠も僅差で逃す。松井選手、ヒーローなり損ね……。


・「清原が気の毒に思えるほど」

97年だったか?開幕前のフリー打撃にて、清原選手と並んで松井選手が打つが、松井選手の出来が良すぎて、評論家さんがコメント。


・「三冠王を何度も獲れる選手」

97年初め、張本勲氏のコメント。


・97年5月22日の横浜戦、地面スレスレにまで落ちたボールを下半身を沈めてホームラン。

松井選手の数あるホームランの中で、僕が一番印象に残っているホームラン。あんな球をホームランにする巨人選手は、10年後の小笠原選手まで待たなくてはならなかった。


・「挨拶をちゃんとする事」

98年初めだったか、巨人入団が決定したゴールデン・ルーキー、高橋由伸選手とテレビ出演。ルーキーが入団するにあたり、心構えについての答え。


・98年は96年以来の開幕戦4番。しかし、開幕から46打席連続ホームランゼロ、4月は32打席連続ノーヒットで打率2割そこそこの大不振で、またも5月に3番降格。しかし、それ以降は巻き返して、この年、初の打撃タイトルを獲得(二冠王)。

「松井はこの年に打撃タイトルが獲れなければ、今後も獲れない」と評論家さんにも言われていました。要するに、タイトルを逃すクセみたいのが付いてしまうと言う事ですね。


・98年5月6日の横浜戦では、プロ入り以来23打席連続ノーヒット(7連続三振有)の佐々木主浩投手から、最終回についにプロ初安打。しかし、二盗を試みて刺されてゲームセット。二塁ペース上で両手両膝を付き、ガックリ崩れ落ちる松井選手。

佐々木投手からようやくヒットを打ったのに、それを自ら台無しに。松井選手、ヒーローなり損ね……。


・98年7月14日の横浜戦、一時は6点リードを許した巨人だが、5回に松井選手が満塁ホームランを放って徐々に追い上げ、最終回、松井選手がやはり苦手の佐々木投手から同点タイムリー。しかし、その裏に巨人は逆転されて敗戦。

松井選手、ヒーローなり損ね……。


・99年7月16日、これまで18回対戦して8三振1安打に抑えられていた阪神の田村勤投手から初ホームラン。

基本的に、左投手は苦にしない松井選手でしたが、ストレートでインハイを攻めて、外に流れる変化球のコンビネイションで勝負する、腕を下げた左投手には極端に弱かったですね。もっとも、どんな左打者でも弱いけど……。


・99年8月7日の広島戦で、延長12回サヨナラ犠牲フライ。

同期の村田善則選手(最終回に同点スリーラン)と揃ってお立ち台。このヒーローインタヴューで、二人は大の仲良しと知りました。


・2000年開幕前、4番は自分だと宣言

いつも控えめで、自己主張の少ない松井選手にしては珍しい発言。驚きましたし、その決意と闘志ががいかに強いものが感じられました。


・00年からグリップエンドにまで指をかけ、極限までバットを長く持つスタイルに変更。

これほどの打者になっても、まだ改良を怠らない、松井選手の飽くなき向上心に驚きました。長嶋監督はこの変更に反対だったそうですが、この年も松井選手は打ちまくって、2度目の二冠王とMVPに輝きました。


・00年6月18日、阪神の遠山奬志投手から、22打席目にして、ついにホームラン。

遠山投手は前述の田村投手と同様の攻め方をする左投手でして、松井選手は遠山投手に、前年は13打数無安打6三振と、完璧に抑えられていました。同じタイプで苦手にしていた投手が、オリックスで、後に巨人に移籍してくる野村貴仁投手ですね。


・「ペタちゃん打たないで!」

00年セ・リーグ優勝のビールかけにて、打撃タイトル争いについてのコメント。ペタちゃんとは、ご存知のとおり、当時ヤクルトのロベルト・ペタジーニ選手。自分が打ってタイトルを獲りますではなく、相手が打たない事を述べるのが、松井選手らしいと言うか……。もっとも、この時、松井選手とペタジーニ選手では、大分差がついていたんですけどね。


・「そんなん投げられん。そんなん、松井は見逃してくれん」

00年オフ、スポーツ番組の「プロ野球ってナンだ?〜南原プロ野球研究会〜」にて、往年の名投手、村田兆治投手が、もし松井と対戦するならどう攻めるか?を問われて。いささか記憶が曖昧ですが、下記のような内容でした。

初球「インローにストレートや」
二球目「もう一球、インローにストレート」
三球目「ん……、インローかなぁ………。またはインハイ。インローに落とすかもしれん(フォーク)」

「他のコースには投げないんですか?」
「そんなん投げられん。そんなん、松井は見逃してくれん」


・00年オフだったかな?某テレビ番組の企画、「スプレーヒッター」にて、松井選手は9枚のパネルのうち、あっさり8枚を連続して射抜くものの、残り一枚になった途端、全部失敗。

テレビ番組の企画とは言え、大分プレッシャーがかかっているように見えました。


・「自分は1試合に4安打打ったら、5打席目はもういいかなと思っちゃう」

01年頃だったか、はっきりは覚えてないけど、日本時代後期の松井選手のコメント。僕としては、もっと欲張って打って欲しいと思いました……。


・「もう松井は、我々が語れるような存在ではなくなってしまった」

02年も打ちまくり、圧倒的存在となった松井選手に対しての原監督のコメント。なお、10年に原監督は、同様の賛辞を阿部慎之助選手にも贈っています。


・「何も言う事はありません。メジャーで頑張って下さい」

03年に松井選手はヤンキースに移籍。当時、超辛口かつシャレの効いた論評で人気だった巨人応援サイト、「G-CHASER」さんにて、松井選手の移籍についてのコメント。管理人さんは、いつもの茶化しや毒舌は欠片もなく、以上の一文だけで終えていたのに驚きました。


また、僕の所属する芸能プロダクション、「グッドラックカンパニー」代表の大塚俊一さんは、小学生から高校生まで野球部所属の超野球好きで、古くからのメジャーリーグ好きです。その古くからのメジャーリーグ好きにとって、日本人選手がメジャーリーグの名門、ヤンキースで活躍するのは、言葉にならないほどの感慨だったそうです……。

松井秀喜選手、これまで本当にお疲れ様でした。素晴らしいプレイの数々、どうもありがとうございました。


※ 12月31日14時07分、4番目と5番目のエピソードを追記致しました。

Comment

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こんばんは、山下さん。寒い日が続きますね(笑)。横浜戦のホームラン、僕も見ていました。テレビの前で松田優作なみの「なんじゃこら!」と叫びました。

松井の引退…覚悟はしていましたが…残念でなりません。普通、有名なスポーツ選手の地元では何かしらよくない話(たいていはやっかみだと思いますが)を耳にするものですが、松井秀喜に関してはは良い話しか聞こえてきませんでした。通学風景、友人関係など微笑ましいエピソードばかり!

今後は生きているうちに、松井を凌ぐような選手が現れるのを期待して野球を見つめることになりそうです。

それでは、今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。よいお年を!
2012年12月31日(Mon) 20:15
編集
笙一郎さん、あけましておめでとうございます。昨年もお世話になりました。

あの横浜戦のホームラン、凄かったですよね!打たれた瞬間、谷繁捕手も、「嘘だろ」と驚愕したそうです。

引退は寂しいですが、潔い引き際も松井選手らしく思いました。松井選手は実力はもちろん、人柄も良かったですよねー!インタヴューをはじめ、テレビ出演でも誠実さが滲み出ていました。

55番の後継者、大田選手も身体能力は素晴らしいだけに、開花を期待しております。松井選手のようにメジャーで30本打てる日本人選手、また出て来て欲しいですよね!

今年もよろしくお願い致しますー!
2013年01月01日(Tue) 12:08












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