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いであつしさんと綿谷寛さんの痛快に面白かったコラム

CATEGORY靴・服飾
ナウのトリセツ


昨年は、雑誌「Begin」で長期連載されている、いであつしさんと綿谷寛さんのコラムが、「ナウのトリセツ」のタイトルで、ついに書籍化されましたね。僕は大学生の頃から愛読しておりまして、その頃からずっと書籍化を望んでいただけに、嬉しい限りです!

「モードの鼻毛」に始まり、「聞かせてしゃもじ」、「世直し行脚いで黄門」、「喫茶室ナウアール」、「居酒屋ナウのれん」と17年続く、いであつしさんと綿谷寛さんのコラム。

「まんがはじめて物語」、「まんがどうして物語」、「まんがはじめて面白塾」、タイトル変わってもやる事いっしょ。

昔、「ジャンプ放送局」であったそんなネタを思い出さずにはいられない、いであつしさんと綿谷寛さんのコラム(「聞かせてしゃもじ」だけは少し路線が違ったかな)。

この「タイトル変わってもやる事いっしょ」の類似例では、「激烈バカ」と「頭がビッグバン」もありますね。

綿谷画伯のイラストとともに、いでさんが鋭いながらも軽妙に、そしてユーモアを交えて、珍妙な流行を茶化す、からかう、風刺するコラム、僕は毎月楽しみにしております。

書籍化にあたり、改めて読み返しましたが、「キッズセレクトショップ」の回、僕が子供の頃を思い出しますね。

僕の母親は、長崎の超ド田舎生まれで浦和の片隅で専業主婦しているだけのくせに、若い頃はファッション・デザイナーを目指していたらしく、結構服飾にうるさい人でして、お母さんなりにこだわった洋服を、僕に着させていたものでした。もっとも、僕が子供の頃は、子供向けのセレクトショップなんてなかったけどさ(あったの?)。

「ほら、コレもオレンジのラインが入ってるのよ。ね、これにしよっ!ママの言うこときいて!」
「イヤだイヤだ、これじゃなきゃイヤだ!」


綿谷さんがイラストで描いている、この親子の様子、僕が子供の頃とまったく同じ会話です。まあ、僕のお母さんは自分の事を"ママ"とは言わず、"お母さん"と言ってたけど……。

僕のお母さんは、かわいらしいデザインで、かつ合わせやすいカラーリングのスニーカーを買おうとするんですが、僕は他に欲しい靴があり、よく衝突していました。

「そんなスニーカーより、このサンバルカンとかウルトラマンが描かれた靴の方がずっとかっこいいのに、どうしてお母さんは分からないんだろう???」

靴を買いに行くたびに、僕はそう思っていました。でも結局、お金を出すのはお母さんなので、僕の要求は受け入れてもらえません。この手の靴を履いている友達が、当時、とても羨ましかったです。
僕が覚えている限りでは、僕が欲しい、特撮ヒーローモノのイラストがプリントされた靴を買ってもらえたのは、一回だけだったと思います。その一回における、お母さんの、「ついにこんな物を買ってしまった……」と言わんばかりの、落胆した表情はなかなか忘れる事ができません。

僕とお母さんの、欲しい靴の意見が初めて一致したのは、小学2年生の時。その当時、「暗闇でソールの一部が光るスニーカー」が新発売されまして、僕が欲しいとねだったら、あっさり買ってもらえました。あれはびっくりしましたねえ……。

話を戻して、いでさんのコラム、「半ズボン」の回では、今時(08年夏)の若者は、半ズボンを"ショーパン"と呼ぶと書かれておりました。僕が大学生の頃は、"ショーツ"だったなあ……。僕自身は、"ショーパン"も"ショーツ"も使った事ないけど。

この回では、大人が半ズボンで、みゆき族のように銀座を歩いてみたら、笑われたと書いておりましたが、それ分かります。僕、10年ほど前の夏に、新宿ビームスのショップスタッフさんが、まさにみゆき族のようなバミューダパンツに、J.M.ウエストンのコインローファーを素足で履いているのを見かけたのですが、思わず苦笑してしまいましたもん。

それにしても、半ズボンと言えば、今から15年以上前に、何かのファッション雑誌で、既に半ズボンスーツ姿を披露していた、高城剛さんを思い出しますね。

「これ(半ズボンスーツ)、簡単ですよ。裾上げする際に、膝丈で!って言えばいいだけですから」

その半ズボンスーツ姿を披露した雑誌内で、高城さんはそんなコメントをしていたと思います。高城さんの大胆な発想力に、まだ10代だった僕は度肝を抜かれ、ひたすら感心したものです。そして、高城さんが「簡単」と言う半ズボンに、やたら難しくこだわる、いであつしさんたちが、また面白かったりします(笑)。

なお、ハイパー・メディア・クリエイターの肩書きで知られる高城さんですが、その昔、ハッピー・メディア・クリエイターと書かれていたのを見かけたんですよね。あれは本当に、高城さんが名乗っていたのか、それとも掲載した雑誌のミスなのか、さてどっちでしょう……?

他にも、面白い回はたくさんあります。久保さんと東海さんの話、僕も聞いてみたいです(笑)。ただ、ご存知のとおり、書籍化と言っても、連載していた全てがまとめられたわけではなく、いくつかを抜粋しての書籍化です。この「ナウのトリセツ」冒頭にも書かれておりますが、ネタが古すぎたり、諸事情によって今で使えないネタがあったそうです。それゆえに残念なのは、痛快に面白かった回が掲載されてないよ、フントニモー。

いであつしさんも、綿谷寛さんも、再掲できなかったコラムについて、本書内で、「モッタイナイ」と書いておりますね。

僕は「モードの鼻毛」、第1回から全部読破したわけではないですし、諸事情についても知っているわけではありません。それでも、是非とも載せて欲しかった回はありますね。

例えば、「Begin」98年3月号の、裏原宿系ブランドのプレミア服ネタ。捨てても十分なほどボロボロな、グッドイナフの古着Tシャツが、なんと59,000円。「オヤジの査定価格は50円だ!」と容赦なく酷評。

「世界のコムデが3万チョイで、何で原宿の不良が作ったような服が10万も20万(その古着屋さんでの価格設定)もするんだよ」と、至極もっともな事を書いてました。

99年2月号では、伊勢丹新宿店で行われた、トリッカーズの靴作り実演販売を取材。何しろ、当時はトリッカーズブームの真っ只中、トリッカーズのブローグ・ブーツは本来カントリー・シューズなのに、モード・ブーツと勘違いして履いているお客たちを、ぶった斬っていましたね。

靴ネタと言えば、ちょっと記憶曖昧ですが、僕みたいな靴マニアを茶化した回もあった気がします(笑)。確か、「聞かせてしゃもじ」で、取材対象はユニオン・ワークスの中川一康さんだったような……(違っていたら、ご指摘をお願い致します)。

あと、04年3月号では、雑誌「シューフィル」主催の「靴屋の忘年会」の様子も書いていましたね。実は僕、この「靴屋の忘年会」、01年末に参加しておりまして、取材対象となった03年末も、行こうと思えば行けたのです。結局、行かなかったのですが、もし行ってたら、いでさん、綿谷さんの取材の様子が見れたんだな~と、ちょっぴり後悔したものです。

こう言う面白かった回が、書籍化で未掲載なのは、本当にモッタイナイです。

そう言った未掲載コラムの中でも、特に面白かった回があります。

「ナウのトリセツ」66ページに掲載されている、2001年春「ファッションBegin」(下画像)のコラム。これ、なかなか紹介されない長野県のセレクトショップ事情が分かり、かなり楽しめました。

Begin01年春号増刊


でもね、面白かったのはここだけじゃなかったんです。この号における「モードの鼻毛スペシャル」は全7ページあり、長野県のショップ特集はそのうちの2ページだけ、「ナウのトリセツ」では未掲載となった、他5ページが最高に面白かったんです!

いであつしさん、綿谷寛さんのお二人が、ユナイテッド・アローズ、ジョンズ・クロージング、エディフィスの販売姿勢やスタッフの着こなしとかにガンガン物申して、そして最後には、「あぁ~、言えなかったコノ一言…」と題したまとめで、「相手にもなんなかったね、どいつもこいつも」と、思いっきりけなしてるんです!(で、笑えるのね)

そしてこれが、全部とは言わないまでも、概ね、いでさん、綿谷さんの言う事に賛同できる内容。とても「Begin」には掲載できないほどです。

ファンとしてはやはり、「モードの鼻毛」第1話から現在まで、全部読みたいですね……。

考えてみれば、いであつしさんのコラムは、「モードの鼻毛」時代(つまり初期)の方が、遠慮のない内容だったと思います。いでさんも若かったのでしょうか、それとも編集部やアパレル関係者からの指導があったのでしょうか、またはその両方でしょうか……。

「Begin」で遠慮のない内容と言えば、いであつしさんのコラムではないのですが、98年「Begin」6月号臨時増刊(下画像)にあった、ブランド業界覆面座談会も凄かったですね。

Begin98年春号増刊


僕はこの号で、生産国のごまかし方法を学びました。さらに、日本製の復刻ジーンズにダメージ加工して、それがヴィンテージ・ジーンズとして、アメリカのオークションにかけられた話なんてのも載っています。
そして、今でもちらほら話題になる、普段はミシンで作っている工房を撮影に行ったら、撮影日にはミシンがなくなっており、職人さんが手縫い作業をしていた話。それも、この号で知りました。と言いますか、この話は、この号が初出でしょうか。

僕としては、こう言った遠慮のない話を、どんどん読みたかったりします(笑)。

最後にどうでもいいオマケ。僕、06年9月16日に伊勢丹浦和店にて開催された、MEN'S CLUB主催による綿谷寛さんのトークショーに行きまして、座席最後列には、いであつしさんもいらっしゃいました(笑)。そのトークショー時、綿谷さんに書いてもらったサイン。

綿谷寛さんのサイン

いであつしさんと綿谷寛さんのコラム、これからも楽しみです!
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COMMENTS

5Comments

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山下大輔

>隠しコメントさん。
富山のショップ特集、その熱く濃いスピリットに驚きました!

カッタウェイ

懐かしいです。靴ブーム到来前夜ですね。

半ズボンのくだり、オズワルド・ボーテングに「COOL!」と喜ばれた、というような話ではなかったでしょうか。カスタムオーダーとシャツの特集号で、ファラン&ハーヴィーのブレザー(すべて違うメタルボタンが付いていたような)とかイザイア風のグレースーツをオーダーとか・・。
98年の人気ブランド555の号もまだ持っています。表紙にもあるロブパリのバロス(クロケット製)が世界の逸品として9万円前後で載っていて、「高いなぁ・・さすが世界最高峰の靴!」と驚いたものでしたが、今回復刻されたバロスは確か19万円くらいだったような・・。
・・・あれから随分、時が流れたものですねぇ。

  • 2012/01/08 (Sun) 21:36
  • REPLY

山下大輔

>カッタウェイさん
そうです!その話ですー!掲載された雑誌は見当たらないのですが(捨てたかも?)、オズワルドの話は間違いなく載っていました。当時の僕、記事本文では10代と書きましたが、もしかしたら、もう20代だったかもしれません(笑)。
98年の増刊、面白かったですよね。当時20歳だった僕にとって、掲載されているブランドはどれも輝いて見えました(笑)。あの当時はエドワード・グリーン製マスターロイドが68,000円でしたよね……。仰いますとおり、時の流れを感じますです。

NN

はじめましてNNと申します。

エドワードグリーンは昔は本当に輝いていたんですね。
私はその時代を知らないので、知ってる方がうらやましいです。
68000円ですか。。。欲しかったです。

  • 2012/01/29 (Sun) 00:06
  • REPLY

山下大輔

> ロイド・フットウェアの本場・英国の靴を適正価格で!と言う精神は素晴らしいですよね。エドワード・グリーン製マスターロイドはその中でも白眉かと思います。