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宇宙刑事ギャバンであり武田義信であり少年王ビアスであり徳川龍之介先生の教え子

CATEGORY芸能
それは忘れもしない、3月25日15時の事です。

「僕、普段は芝居やっていて、今日はオーディションなんですよ」

最近、知り合った女性に、僕はそう話しました。

「あら、山下さん、そう言う仕事をしているんですか?」
「そうなんですよ」
「それなら、私の主人も昔やってたんですよ。子役で……」
「マジですか!?」

かなり驚きました。元子役って、滅多にお目にかかれませんから。

「実は僕も、昔、子役だったんですよ。旦那様、僕と同い年なんですよね。それなら僕、知ってるかもですよ。所属事務所はどこですか?ひまわり?」
「えっと、子役だから、劇団で……」
「僕も劇団ですよ。旦那様のお名前は?僕、本当に知っていると思いますよ」
「けんたろう……」

けんたろうかあ……えーっと、名字が石関さんだから、石関け

な、何ーっ!!!!!

石関賢太郎!!!!!!!!!

本当ならその場で8回転ぐらいするほどの衝撃でした。しかし、僕にはそんな運動神経がなかったため、できなかったのです。

石関賢太郎!!!

僕が子役時代に所属していた、劇団日本児童の同期生です。僕が知らないはずがありません。

僕が賢太郎と最後に会ったのは、果たしていつの日でしょうか、おそらく23・4年前だと思います。同期生ながらも、お互いの連絡先は知らず、そして僕は小学5年生時に子役を辞めたため、以降、接点がまったくなくなってしまったのです。

けっ、賢太郎の奥様ー!!!

まさか僕が今、賢太郎の奥様と話していて、そしてまさか、こう言う形で賢太郎と巡り合うなんて!!!

この再会、奇跡としか言いようがありません。

「えぇ……賢太郎………!僕、よく知ってますよ………僕、賢太郎と同期生ですよ…………!」

僕は早速、自分の連絡先と一言の挨拶をメモに記し、奥様に手渡しました。

「賢太郎に絶対に連絡してと伝えて下さい。3人で、食事にでも行きましょう」

それから僕はオーディションに向かったのですが、その日はもう、石関賢太郎の事ばかり考えていましたね。何しろ当時の売れっ子子役、僕も同期生として強烈な刺激を受け、彼の活躍を見ては、「負けてたまるか!」と激しく闘志を燃やしたものです。

そしてその賢太郎と……また会えるのかもしれない。まさかの信じられない事態に胸が熱くなり、懐かしい感動が僕を襲いました。

石関賢太郎君の出演作と言えば……。

「宇宙刑事ギャバン」のギャバンの少年時代。
「武田信玄(NHK大河ドラマ)」の武田義信。
「超獣戦隊ライブマン」の少年王ビアス。
「教師びんびん物語Ⅱ」のレギュラー生徒。

80年代の有名番組にいくつも名を連ねていますね。そりゃあ、僕も意識しますよ。

と言うか、80年代を生きた男の子にとって、ギャバンの少年時代を演じられたって、心底羨ましくないですか?

「宇宙刑事ギャバン」放映当時、僕は4~5歳で、当然、リアルタイムで毎週観ておりましたし、幼稚園ではギャバンごっこに興じ、ギャバンの絵を描いて遊んでおりました。当時の日本中の男の子、ほとんどがそう言う経験があるんじゃないでしょうか?しかも僕の場合、ギャバンの主題歌レコードを持っていて、今でも何も見ないで全部歌えます。

しかし賢太郎の場合、"ごっこ"じゃないですからね。少年時代とは言え、"本物の"ギャバンだったんですからね。垂涎の的としか言いようがないですよ。本当に羨ましい。

ちなみに「宇宙刑事ギャバン」は、僕の人生、初の芸能仕事でもあるのですよ。僕は、マジックショーの観客役です。エキストラとも言いますね。

さらに少年王ビアス、要するにこれ、超獣戦隊ライブマン、最後の敵です。YouTubeで動画探してみましたら、ありましたよ、少年王ビアスの姿。スペイン語ですけど……。


見て下さいよ、子供ながらに戦隊ヒーロー最強の敵として、堂々と立ちふさがるんですよ。何だかむちゃくちゃカッコ良いんですけど。賢太郎、良い表情していますね。コスチュームもカッコ良いですね。僕もこう言うのを着て、全国ネットで登場したいですよ。

そして、これはまったく本当に話で、僕が子役時代にやりたかった仕事の一つに、「学園物の生徒役」があります(あと、あばれはっちゃくが演りたかった)。要するに、青春物をしたかったんですよね(笑)。それも賢太郎は、「教師びんびん物語Ⅱ」でしっかりやってるんですからね。いや~、羨ましい!

こう見ると、賢太郎はカッコ良い役柄が多いですね。やはり子役それぞれの個性に合った、役が当てはめられると言う事でしょうか。考えてみれば、僕は"恵まれない境遇の子"役がほとんどでした。賢太郎は凛々しい雰囲気、僕にはかわいそうな雰囲気があったのでしょうね。僕、ヴァラエティ番組では、アホな事もかなりやってたんですけどね。

そして、奥様のおかげで、賢太郎からメールが届いたのが、翌26日。感激でしたね……。

その後、メールのやり取りを経て、4月16日18時!ついに23・4年ぶりの再会を果たしたのであります!

「久しぶりだなあ」
「おお、久しぶり!」

会うなり、ガッチリ握手です。握手せずにいられません。今の賢太郎は眼鏡をかけていますが、その眼鏡越しの表情に、昔の面影が確かに残っております。

「世の中狭いよなあ……」
「いや、狭いっつうか………奇跡だよ(笑)」

間もなく奥様も合流して、良い店をよく知る奥様の案内で、飲み屋をハシゴ。

僕は当時のタレントブック(劇団日本児童所属子役のプロフィール本)や、賢太郎と僕がいっしょに掲載されている、当時の劇団日本児童の広告を持参。これを見ながら、次々と出てくる当時のエピソード。

昔、賢太郎がバーモントカレーのCMに出演していたのは知っていたのですが、他にも高見山関の「2倍、2倍」で知られる布団のCMや、明治座や新歌舞伎などの舞台公演にも出演していたそうです。僕も新歌舞伎座では仕事経験があるので、懐かしく思えたものです。

そして、「教師びんびん物語Ⅱ」では、なーんと、3次オーディションまであったらしいです。もちろん、ドラマのキャスティングにオーディションがあるのは普通なんですけど、大抵は一回のオーディションで合格者が決まるんですね。2次オーディションがあるのも珍しいくらいなんです。3次オーディションなんて、初めて聞きました。やっぱり、人気ドラマのパート2だけあって、人選にも相当気合が入っていたのだな~と感じました。突破した賢太郎は、さすがです。

また、子役の宿命ですが、撮影現場で宿題やったり、臨海学校や社会科見学と言った、学校行事に参加できない事とかも話しました(笑)。

もちろん、賢太郎と奥様の馴れ初め話も聞きました♪

ちなみに飲み歩いている最中、賢太郎はマクドナルドでフライド・ポテトが食べたいと言い出し、ポテトをテイクアウトして、近くのビルの階段に座って食べていました。

「おいおい、少年王ビアスが、こんな所でフライド・ポテト食べてるよ!」

すかさず僕が突っ込んだのは言うまでもありません。

それからにさらに飲み続けて、いつの間にか終電の時間。でも、まだまだ話したい事、聞きたい事満載なのが惜しかったです(笑)。

賢太郎、奥様ともども、お疲れ様でした。そして、どうもありがとう!

奇跡の再会に感謝!!!
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COMMENTS

4Comments

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そげき

ちょっwwwこれはしびれるwwww
似たような経験が僕もあります。
前、バイトしていたところの社員がBEINGの元作曲家だったことを聞いたときは発狂しましたwww

山下大輔

>そげきさん
いや~、僕もしびれたね。そして、ぶっ飛んだね(笑)。
BEINGの元作曲家、そげき君にとっては憧れの的だよね!

賢太郎の嫁

ありがとう

先日はお疲れ様でした!楽しかったですね。
ブログにアップありがとう。賢太郎も喜んでましたよ。
次回はお互いの過去の作品の鑑賞会でもしましょう!

  • 2011/04/23 (Sat) 00:03
  • REPLY

山下大輔

>賢太郎の嫁さん
どうもお疲れ様でした~!本当に楽しかったですよね!
アッと言う間の時間で、まだまだ話し足りません(笑)。
鑑賞会、是非やりましょう!ギャバンと日本語でビアスが見たい(笑)。
また連絡しますね~。