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靴磨き名人異名「魔法の指を持つ男」誕生裏話

CATEGORY靴・服飾
靴磨き名人、井上源太郎さん

今月号のメンズ・プレシャスは靴特集で、靴磨き名人の井上源太郎さんも採り上げられておりましたね。そして、そのページでは源さんが、「魔法の指を持つ男」とも書かれておりました……。

ご存知の方はご存知のとおり、源さんにこの異名を初めて付けたのは僕です(サイト内にある井上源太郎さんのページ参照)。知っている人が少なさそうなのが、ちょっと寂しいので、ここに書いちゃったりして(笑)。

僕が勝手に考えたこの異名、他メディア(今回のメンズ・プレシャスだけではない)でも源さんが紹介される際に、しばしば使われているのを見ると、結構しみじみ驚くものです。

「そうか、異名って言うのはこうやって世に定着していくのか………案外適当なんだなー………」

もちろん、自分の考えた事が世に広まるのは、嬉しいんですけどね。

ただ、「魔法の指を持つ男」って、異名として実際に使うには、少々長いですよね(笑)。そのせいでしょうか、「魔法の指」と紹介される事もありますね。

僕が初めて、井上源太郎さんに靴磨きをお願いしたのは、2000年1月中旬頃。エドワード・グリーンのマルヴァーンを持ち込んだのです。

お店に伺った時、源さんは先客の靴を磨いておりました。

「あの………、井上さん……、ですか?」

有名人なうえに、忙しそう。僕も恐る恐る声をかけました。

「今すぐには磨けません。靴を置いて行ってくれたら、20分後には仕上げておきますよ」

源さんに言われるまま、エドワード・グリーンをお店に置いて行く僕。その場で応対してもらえなかったのが、少し残念。果たしてしっかり仕事をしてくれるだろうか?僕はやや不安を覚えながらも、20分後に靴を取りに行きました……。

「はい、出来ていますよ」

不安を感じていた、僕が愚かでした。僕の期待を、はるかかなたに超えた、源さんの仕事がそこにありました。靴は、僕は今まで見た事がない強烈な光を放ち、文字通り、源さんの職人技が光っていました。源さんがなぜ有名なのか、その場で一瞬で理解できました。僕は以前にも、別の靴磨き職人さんにお願いした事があったのですが、それを明らかに凌駕する出来栄えでした。

その輝きに感動してしまった僕は、即座に源さんのファンとなりました。そして、そのまま店内に居座り、源さんの靴磨きを見学しだす僕(←迷惑すぎ)。

源さんは僕と応対しつつも、新しくやって来たお客様の靴を磨き始めました。

すると、驚くべき事が起こったのです。靴磨きの最中、ある瞬間に突然、輝きがガラリと変わるのです!そう、鏡面仕上げの「膜」ができる瞬間です!

「い、今のどうなってんの!?この人、靴に魔法でもかけたんじゃないの!?」

この仰天した感情が、「魔法の指を持つ男」、その異名につながったのです……。

今では僕も靴磨きの知識が付き、靴が突然光り出しても驚かないのですが、その当時は源さんの仕事を見て、靴磨きの違う領域に、ただただ驚嘆するのみでした。

それからと言うものの、当時大学三年生だった僕は時間が作りやすい事もあり、源さんのお店に頻繁に通うようになりました。

そして3月1日も、僕は購入したばかりの既製のゲオルグ・マテルナを磨いてもらいに行ったのです。

「え!これマテルナですか。へーえ、日本でも買えるんだあ。日本にいれば、何でも手に入るんだね」

なかなか入手しづらいゲオルグ・マテルナを見て、驚く源さん。しかし同時に、

「自分も昔、ウィーンに行って、マテルナ(既製)を買った事あるよ」

そう言って、ゲオルグ・マテルナ親方の名刺を見せる源さんにも、僕は度肝を抜かれたものです……。

その日の夜、僕は当時所属していた、ヴォランティア団体の事務所に顔を出しました。事務所には、団体の設立者である浅井久仁臣さんがいらっしゃり、何気ない世間話をする僕。

浅井さんはジャーナリストであり、その深い見識と知識に、僕はいつも勉強させて頂いておりました(今も)。

浅井さんと話すうち、やがて靴磨き名人、井上源太郎さんにも話題が及びました。僕が熱く語る源さんの職人技に、浅井さんは興味深く聞いてくれました。そして……。

「大ちゃん、その話、面白いよ。今度、その人の事、つうしんに書いてよ」

"つうしん"とは、そのヴォランティア団体にて月に一度発行していた、会報の事です。

こんな僕の趣味にまつわる一方的な話、果たして会報に書いて良いの?と疑問に思った僕ですが、浅井さんによると、そう言う職人さんの話は、皆に広める価値があるとの事。そして、僕のような若い時分から、そう言う職人技に触れているのは、とても良い事だよとも、浅井さんは言いました。その言葉は本当だったと、33歳になった現在、感じております……。

厚かましくも調子に乗った僕は、数日後、源さんについての記事を書きました。もちろん記事には、「魔法の指を持つ男」の記述もございました。

浅井さんはその記事に目を通し、内容にも満足して下さいました。しかし一つ、僕に意見を投げかけてきたのです。

「このタイトルでいいの?」

この時のタイトルは、「プロを見せてくれるおじさん」でした。

「はい、そのタイトルで……」
「ん………」

浅井さんとしては、あまり気に入ってない様子。僕としては、源さんの仕事のこだわりを皆に伝えたかったので、そのタイトルにしたのだ。だが、浅井さんは違いました。

「………(タイトルは)魔法の指を持つ男の方が良くない?」

え?そうなの………?

正直、僕としてはその名、あまり気に入ってなかったのだ。いまいち捻りが効いてなくてありきたりだし、「男」で終わる言葉のため、どうも響きも重くて僕の好みじゃない。

でも……、文章のプロであり、はるか年長の浅井さんに対し、僕が反論するのも恐れ多い。それに、読む人が限定される会報誌。僕のこだわりをそれほど出す必要もないか……。

「はい、じゃあ……、それでいいです……」

渋々了承する僕(笑)。こうして記事タイトルは、「魔法の指を持つ男」に決まりました。

今になって、考えた僕自身も気に留めていなかった異名に、すぐに注目した浅井さん、慧眼とはこの事かと、思わずにいられません。

そして、この源さんの記事が、ヴォランティア団体内で、意外なほどに好評だったのです!

「靴磨きにそんなにこだわっている人がいるの!?」
「その職人さんのお店、自分にも教えてよ!僕もその人の生き様を学びたい」

そう言う声が寄せられたりして……。

この時の反響の良さが、僕が靴サイトを作る際、源さんの記事も掲載した、大きなきっかけとなっております。つまり、浅井さんの「その人の事、つうしんに書いてよ」の一言がなければ、かの異名も誕生していなかったかも?しれません?

現在、サイトにある源さんのページは、この会報に載せた記事に、靴マニア向けの話を加筆したものなんですね。ページ公開日は02年6月29日ですが、「魔法の指を持つ男」、その異名は2000年3月に誕生していたのです。

思えば、僕がサイト開設時、多くの方に閲覧して欲しいため、何か目玉と言えるページが欲しいなと思い、その一つがこの井上源太郎さんの記事でした。

「靴のサイトを作るので、井上さんも登場して下さいよ」

そんな僕の図々しい極まりないお願いに、快く了承して下さった源さん。その親切心、広い度量には心から感謝です……。

思い出しますね。JR京浜東北線内で源さんに、僕の作成した記事を見せて、「掲載して問題ないですか?」と、確認して頂いたのを。上にある源さんの画像も、8年前にサイト掲載用に撮影した、源さんの写真の一つだったりして(笑)。

源さん、一時は引退の噂もございましたが、現在もホテルオークラにて営業を続けております。まずはご体調を第一に、お元気でいて欲しいですね。

余談ではありますが、浅井久仁臣さんのBlogは必読です。多くの時事問題の核心に触れ、浅井さんでしか知りえない事実も書かれ、非常に勉強になります。
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