木村拓也……あんた最高に格好良かったぜ………
今更言うまでもなく、良い選手でした。川相とともに、背番号0番の似合う選手でもありました。昨年も何度も好プレイを見せており、あと2年はやれそうな、余力を残しつつの引退、非常に惜しかったです。昨年の時点では、僕はまだまだ現役として、巨人のセカンドを守るのだろうと思ってましたし、今年の巨人の一番の懸念材料は、木村拓也選手の引退だとすら思っておりました。
僕が初めて木村拓也選手のプレイを見たのは、96年だったと思います。
「木村拓也……タレントの方と同じ名前ですが、この選手も日本ハムから移籍して来て、頑張っております」
打席に立った時、レポーターさんから確かそんなコメントをされたのを覚えております。まずは名前から有名になった選手です。
巨人に移籍して来たのは、それから10年後の06年途中。原監督は第2次政権当初、スモール・ベースボールを掲げており、そのため、小坂、小関、古城と、小技ができる選手の獲得に積極的でした。木村拓也選手のトレードも、おそらくその一環だろうと、当時の僕は思っておりました。
しかし今にして思えば、別の思惑もあったのかもしれません。
上手い選手より強い選手を。
06年6月17日、木村拓也選手は巨人移籍後、初の猛打賞を放ってヒーローインタヴュー。
「僕が入ってから、8連敗していたんで……。すみません!」
木村拓也選手の、強い責任感が感じ取れました。
巨人はこの年、怪我人が続出。ありとあらゆるポジションが空き、それに応じて木村拓也選手はありとあらゆるポジションを守りました。打順も二番、七番、五番と目まぐるしく変わり、そして代打では、打率.462!
まさにチャンスメイク、繋ぎ役、ポイントゲッター、代打の切り札と、何から何までやってのけたのです。
その後も驚異のバイプレイヤーとして活躍したのは、周知のとおりです。おそらく打撃面では、巨人時代の08年がピークだったのではないでしょうか。
この年の前半戦、調子の上がらぬ巨人打線を引っ張っていたのは、ラミレス選手とこの木村拓也選手でした。
08年5月26日、三番に抜擢された木村拓也は1回に先制ツーラン。
しかし4回、この年、開花の兆しが見え始めた亀井が、スライティングで負傷退場。巨人のムードが重苦しくなる中、次の回、打席が回ってきた木村拓也は、再び流れを引き寄せる、フェンス直撃のツーベース!
「三番起用的中です!」
「小笠原に代わって、困った時のキムタクだ。そう話していた原監督」
「それ以上でしょう!」
「この活躍は……見事でしょう!」
レポーターさんが興奮気味に語り、解説の中畑氏も惜しみない賛辞。
そして、その試合のヒーローインタヴュー、木村拓也選手のコメント。
「主力がいないと弱いと言われるとシャクなので、どうしても勝ちたかった」
まさに強い選手がそこにいました。
木村拓也選手のハイライトと言えば、昨年の捕手出場が有名ですが、それ以前から、捕手としての危機管理はしていたそうです。
07年6月5日のロッテ戦では、阿部が負傷退場して実松と交代。ベンチに捕手がいなくなったため、木村拓也選手は万が一に備え、ブルペンにて捕手練習を行っていたとか。
必要とあらば、何でもやる。全力でやる。惜しみなくやる。木村拓也……あんた最高に格好良かったぜ………。
あまりに突然すぎ、若すぎ、未だに信じ難いです。僕も多くのファンの皆様と同様、ずっと奇跡を信じておりました。
たくさんの感動を、どうもありがとうございました。ご冥福をお祈り致します。
合掌。
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