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65年ありがとう。そしてさようなら。

元旦からこう言った内容で恐縮ですが、本日、14時27分。親戚のおじさんが亡くなりました。

僕の母親の従弟にあたる方です。とは言っても母と同じ家で育ったので、母にとっては兄であり、父のような存在だった方です。

僕の母親の父、つまり僕の祖父は太平洋戦争にて戦死しているんですが、その時、祖父はまだ結婚したばかり。

新妻(つまり僕の祖母)と、そのお腹の中に初めての子供(つまり僕の母)を残しての出征でした。

祖父は出征前、「自分にもしもの事があったら、家族を頼む」と、当時から優秀で知られていた、僕のおじさんに言付けていたようです。

この時、おじさんは12歳でした。

祖父はもしもの事があって、戦地から帰って来ませんでした。さぞかし無念だったろうと思います。

そしておじさんは祖父の託を守り、祖父に代わって、僕の家を守ってくれました。

農地を耕して家業を助けては、母の面倒を見て授業参観に行き、さらには母の見合い相手まで探して来てくれたと言うから、その義理固さには、僕がいくら頭を下げても足りるものではありません。

いつもわがまま全開の僕の母親にとって、数少ない、頭の上がらない人でした。僕の母は母子家庭で育ったのに、自分の父親にあまり興味がありません。おそらくおじさんが、十分に父親の役割を果たしていたためだろうと思います。そしてもちろん、僕の事もとてもかわいがってくれました。

おじさんは20歳頃から現在までずっと日記を付け、40年以上「文芸春秋」を読み、書道の先生でもあり、大変教養溢れる方でした。

さらにスポーツマンで、村の相撲大会では必ず優勝していたとも聞きます。

しかも精悍な顔立ちの男前で、ギターまで弾いていたそうです。かなり完全無欠です。

おじさんの大好物は、お酒でした。

「酒はなかとか」

夜になると、よくそう言ってました。
僕の家系は酒に強い人が多く(僕は家系の中では弱い方)、おじさんもその血を受け継いでいました。

そして、僕の家系は男女問わず、ほとんどが小柄です。おじさんも身長160cmそこそこしかなく、やはり血を受け継いでいました。

おじさんは地元では有名人らしく、住所を途中までしか書かなくとも、名前さえ書けば手紙が届くと言う逸話があります(あくまで逸話、或いは昔の話かもしれない)。

僕が昨年夏に帰省した時は、おじさんは普通に生活にしており、毎日僕の家にやって来ては、地元の人しか知らないような"隠れ名所"に僕を連れて行ってくれました。

そのおじさんが末期癌だと分かったのは、昨年11月。僕はその月の下旬にお見舞いに行ったのですが、おじさんは普通に会話していましたし、歩行も今までどおりでした。病院のベッドにはその月の「文芸春秋」が置いてあり、しっかり読んだ形跡もありました。

「おじさんの事だから、気力で長生きしてくれるかも」

僕は期待もしました。おじさんは40代の頃、交通事故で死線をさまよいながら、脱した経験があるのです。

しかし、

「もう持たないところまで来ている」

そう報告を受けたのが、昨日の深夜。

そして本日、亡くなりました。

おじさん、65年もの間、我が家を見守ってくれて、本当にありがとうございました。家を代表してお礼を申し上げます。
僕の祖父は、おじさんに家を託して良かったと、心から思っているはずです。そして祖父はきっと、天国で誰よりも最初におじさんを待っていて、誰よりも早くお礼を申すはずです。

どうぞ安らかにお眠り下さい。

最後にもう一度、ありがとうございました。

さようなら。
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