高級靴ブーム10周年
10年前の今日、現在に至る日本の高級靴ブームがスタートしたのです。
10年前の今日を皮切りに、"ビスポーク・シューズ"の素晴らしさが日本に広まっていったのです。
10年前の今日がなければ、現在、ビスポーク・シューズがこれほどまで日本に認知される事は絶対になかったでしょうし、5万円台以上の靴がここまで売れる事はなかったと断言できます。
「今まで、俺はなんて無駄使いしていたんだ。Eグリーン4足分位でビスポークが1足注文できてしまうではないか。でも、履き心地、シェイプの美しさ、満足感は4倍どころではないぞ。10倍?、100倍?、いや、これは全く次元が違うぞ。それに今まではEグリーンこそ美しい靴だと思っていたのに、並べてみると随分Eグリーンはズングリしていてかっこ悪いぞ。革だってあんまりよくないな。色もよくないな。細かなディテールもあまいな。なんでこんな靴に高い金を出していたんだ。」
10年前にビスポーク・シューズと呼べる靴は、果たして日本にどれだけ存在していたでしょうか。大塚製靴と銀座ヨシノヤ(小笠原シューズ)がかろうじて頑張っているのが現実。ギルド・オブ・クラフツは産声を上げたばかり。
現在では日本各地にビスポーク・シュー・メイカーが存在します。10年前の今日がなければ、日本にこれほどまでビスポーク・シュー・メイカーが根付く事はなかったでしょう。
10年前の今日を境に、ビスポーク・シューズの注文数が日本でどれだけ増加したか。
どうしてこれほどまで、日本でビスポーク・シューズが復興し、高級靴の購買層が広がったか。
「ここが当たっている、ここはスカスカだ。全然合っていないじゃないか。今まで、なんでこんな靴を履き易いと思っていたのだろう?」となるでしょう。自分の足の感覚の精度が、ビスポーク未経験時では3~10ミリ単位だったのが、ビスポーク経験後は1ミリ未満の当たり・隙間がわかるようになってしまうのです。
本物を知る方のお言葉が、これほどまで影響力があるのかと、僕自身がその凄まじさをよーく知っております。
10年前の今日から、日本おける高級靴事情は、徐々に、どんどん、そして大きく変わって行ったのです。
高級靴の一つの目安である、"ハンドソーン・ウェルテッド製法"たる言葉が日本で初めて登場したのは、僕の知る限り、雑誌「Men's Ex」99年11月号の靴特集。それ以前は、ハンドソーン・ウェルテッド製法でも、同じウェルト式と言う事で、"グッドイヤー・ウェルテッド製法"といっしょにされておりました。
この特集に、かの伝説の掲示板が一役買っていた事は、知る人ぞ知る事実です……。
そして、10年前の今日がなければ、雑誌「最高級靴読本」も、「LAST」も存在しません。
ビスポークへの道へ進むべきです。Eグリーン、ラッタンジにまでたどり着き、紳士靴の世界の道のりを98%くらい達成したと思います。でも残りの2%がすごいのです。この2%の扉をあけたとたん、今までとは全く違った世界の部屋が待っているのです。蟻は2次元の世界に住むと言われる。2次元の世界に住むものは3次元の世界は想像できない。3次元の世界に住む我々人間は4次元の世界が想像できない。X,Y,Zの3本の垂直に交わる線に、さらにもう1本垂直に交わる線のある世界とは?既製靴とビスポークでは次元が違うのです。既製靴を何百、何千、何万と積み重ねてもビスポークにはならないのです。
10年前の今日、僕は大学三年生でした。その当時の僕に、このコメントがいかに眩しく、そしていかに衝撃だったか。
現在の僕はフォスター&サンを入手し、ああ、あのお言葉はまさに本当だったと、心から実感しております。
あの掲示板を通じ、僕に数々の事を教えて下さった皆様に、どうもありがとうございました。
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