さらば野茂英雄
「野茂 英雄 21歳 投手 新日鐵堺」
「野茂 英雄 21歳 投手 新日鐵堺」
僕が野茂英雄と聞いて、一番最初に思い出すのはこのシーンだ。
89年11月26日のドラフト会議。僕はこの様子をテレビで見ていたが、何度も繰り返されるこのアナウンスに圧倒された。
名前を読み上げるのは、当時のドラフト名物、伊東一雄氏。氏の冷静かつ、まったく変わらぬこの口調が、より場に緊迫感を持たせていたと思う。
事前から、野茂の8球団重複指名は予想されていたものの、いざその事実を目の当たりにすると、やはりその凄さに驚嘆せざるをえなかった。
「野茂 英雄 21歳 投手 新日鐵堺」
「野茂 英雄 21歳 投手 新日鐵堺」
そして結果は周知のとおり、野茂は近鉄に入団。当時の近鉄はパ・リーグの覇者。エース阿波野に続いて、さらにもう一人、頼れる投手が加入となった。
「あー、近鉄、また強くなるな」
そんな事を思っていた当時の僕でしたが、同時に僕は、この野茂の実力を、まだ結構疑っていたんです。
だって、評判倒れに終わった選手、過去にいくらでもいましたからね。広島の川島堅は全然出てこないし、中日の近藤真一も聞かなくなった。ヤクルトの西岡剛(現ロッテではなく、当時、同姓同名の有望投手がいたのだ)も出てこない。
「もしかしたら野茂も、そうなるんじゃねーの?」
当時からひねくれ者だった僕は、そう考えていたんですな。
このドラフトが明けた翌日、学校の教室では、こう騒いでいる友人が一人いました。
「のしげ、すげえよ、のしげ!」
野茂の契約金は1億2000万円、年俸は1,000万円(推定)。いずれも当時最高額で、やはり扱いが違いました。確か野茂は、その契約金を使って、「引退後も大丈夫なように」と、マンションだったかアパートだったかを買ったはずです。
「ズームイン!!朝!」の「プロ野球イレコミ情報」で、「若いのにしっかりしてて、偉いねえ」とか誉められていたような。
やがて日は経って春季キャンプも終わり、いよいよオープン戦だったかで、超大物ルーキー・野茂の投球を見た僕。
確かに評判どおりの、重そうな剛速球。フォークも鋭い。でーもー。
「MAX150キロとか言われていたのに、そんなに出てないじゃん!」
そう、見たところストレートは140キロ台後半で、150キロなんて出ないんですね。今でこそ僕は、ルーキーの球速評判は大抵水増しされている事を知っていますが、当時の僕は分かってなかったんです。
そしてもう一つ気になったのは、コントロールが不安定な事。僕は今も昔もそうですが、コントロールが悪い投手ってイマイチ信用できないんです(一部の例外を除く)。どんな形で試合を崩すか分からないし、調子が悪ければ悪いなりに、ごまかして抑えるのが難しいから。
例えば、元巨人の宮本和知投手も、小手先の技術なんて関係なく、ビュンビュンストレートを投げ込んでいた藤田監督時代より、コントロール重視で丁寧に投げていた、長嶋監督時代の方を信頼していました。
さて、ルーキー・野茂、前評判ほどストレートは速くない、コントロールも悪い……。
「もしかしたら野茂、評判倒れに終わるんじゃねーの?佐々岡や潮崎の方が良さそうだぞ」
ええ、もうそんな事を思っていましたよ、僕は。
そして90年、僕は中学に入学し、いざペナントレースも開幕です。
野茂の初登板は4月10日の西武戦。
果たして結果は…………6回4失点KO負け。
「ほ~らな、やっぱり野茂、大したことねーんだ」
馬鹿で馬鹿で仕方がない僕が、極めて短絡的に調子こいてしまった事は言うまでもありません。
しかもこの登板、野茂は7四球に暴投もあっての自滅。コントロールが悪い投手の典型的KOパターンでした。
ちなみにですが、その翌日、報知新聞の見出しは、
「大物明暗 野茂は6回降板」
そう、この日、巨人のドラフト1位ルーキー、大森剛が7番ライトでプロ初スタメン。そして、先制決勝タイムリーツーベースを放つ活躍を見せたのです。
当時は大森も注目株で、それがこの見出しを生んだわけですね。その後の両名を考えると、諸行無常の響きを感じざるをえません。当時の僕だって、大森は将来、巨人の5番を打つものだと勘違いしていましたから。
話を戻すと、野茂は次も勝てません。三振は獲るものの、何しろ四球が多い。自分の予想通りの展開に、ますます息巻く、クソ生意気な僕。
「野茂、ダメだよ。不安定だよ。150キロだって出せねーじゃん。149キロどまりじゃん」
その増長が、やがて間もなく、猛省に変わったのは言うまでもありません……。
圧巻の奪三振数、タイトル総なめ、4年連続最多勝、その凄さは、どれもこれも、僕が今更書くまでもありませんね………。
あのでっかいケツに、パンパンに張った太もも。あれだけ立派な下半身は、他には元巨人の斎藤雅樹と江川卓ぐらいではないでしょうか。そりゃあ、馬力も出るはずですわ……。
そして95年にメジャー挑戦。かねてより、日本のトップクラスはメジャーで通用すると、僕は確信を持っていたので、野茂が先陣を切ってくれたのは嬉しかった。
「二桁は勝てる」
僕はそう踏んでおりましたが、いやはや………野茂の力は予想を超えていました。特筆すべきは、ノーヒット・ノーラン2回でしょう。
年々悪化していく防御率が寂しかったけど、見事にスタイルチェンジした、01~03年の活躍も嬉しかった。ああ、力で押しまくっていた野茂、器用な投球はできないタイプと思っていたけど…………できるものなんだねえ……………。
さようなら野茂投手。今まで、本当にお疲れ様でした。どうもありがとう。

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