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矢野謙次選手の思い出

矢野謙次選手引退が悲しい巨人ファンは、僕以外にも多いと思います。

僕は昨年の松本哲也選手引退と同じくらい悲しいです。ファンだったので。

矢野は僕の母校である國學院大學出身。母校出身者が、ファンチームである巨人に入団。それだけで、もう応援したくなりますし、入団が決まった時は嬉しかったです。

そして、國學院大學野球部は、僕が入学する前年に、仙台育英高の名将、竹田利秋氏が監督に就任。つまり、野球部の強化が図られたんですね。その竹田監督の教え子で、僕とも在学期間が被っている時期があるので、思い入れもさらに深まりました。

巨人時代の背番号48番も少々ポイントでして、以前に48番を付けていた、香田勲男、ドミンゴ・マルティネスも、僕の好きな選手だったのです……。

さて、矢野は1年目から一軍出場を果たし、2年目は出番も少し増えて、3年目の2005年には開幕一軍と、順調にステップアップ。この年の5月には2試合連続猛打賞など、矢野は打率4割前後をキープする絶好調。このままスタメン奪取して欲しいなあと思ったんですが、高橋由伸が怪我から復帰すると二軍落ち。なぜかと言うと、同ポジションの外国人選手、キャプラーが二軍降格不可契約を結んでいたためです。

しかも、この年の矢野は2番で起用される事が多く、戦術上、バントや右打ちもするはめになり、持ち味である思い切りの良さ、パンチ力がなかなか活かせず。スラッガータイプなのに、この年の犠打数はチーム一だった。ここから既に、矢野の不運なプロ野球人生は始まっていた気がします。

ちなみにこの年の矢野は、新人王投票とベストナイン投票にそれぞれ1票だけ入っていました。もちろん、成績としては、新人王にもベストナインにも相応しくありませんが、頑張っている姿に心を打たれて、誰かが投票してくれたのかなあ……なんて思いますね。

そして翌2006年序盤が、おそらく矢野の全盛期。